「歴史あふれる北船場を訪ね歩くまちあるき」、国の重要文化財、緒方洪庵の「適塾」に向かいます。
正式には「適々斎塾」、または「適々塾」とも称され、緒方洪庵の号である「適々斎」が名の由来だそうです。
緒方洪庵の私塾「適塾」は、幕末の25年間開塾された間ここで学んだ塾生は佐幕派討幕派を問わず全国から凡そ3000人を数え、塾頭を務めた福沢諭吉や大村益次郎を始め綺羅星のごとく幕末の偉人たちが並び、その教育方針は教師と生徒の区別は無くお互いが教え学び合うと云うもので、医学塾で在りながら輩出した人材は明治初期日本の各分野に及び近代日本の礎とも言える私塾です。
適塾は1886年頃まで塾生たちにより運営されその後幾多の変遷を経た後、1940年に大阪府の史跡、1941年には国の史跡としても指定され、1942年緒方家や関係者から適塾の後継とされる医学部の存在する大阪大学に寄付され、8回にも及んだ大阪空襲にも奇跡的に被災を免れ、戦後「適塾記念会」を受け皿に大阪大学によって維持管理されつつ1964年に国の重要文化財に指定された後、1976年から5年かけて解体修理が行われ現在に至っています。
国の重要文化財「適塾」に向かいます。
「適塾」の両脇は大阪市により公園化されてます。
適塾。
玄関に入ります。
中庭から台所へのショートカットは禁止だそうです。
通常は見学料250円の処、今回は中央区主催のツアーの事で無料に成りました。
書斎。
緒方適々斎先生。
書斎横の台所。
竈の上に換気窓の開閉用紐が見えます。
1階客座敷から前栽。
同じく客座敷から前栽横の手水。
適塾独特の急階段。
有名なヅーフ部屋。手前は女中部屋だそうです。
ヅーフ・ハルマ。
塾生の大部屋。
ヅーフ部屋の隣りに在り塾生は何時でもヅーフハルマに接する事が出来た様です。
資料が展示されています。
塾生部屋、柱の刀傷。
塾生の大部屋。