最近は3か所周りが常態化してますが、9月22日(日) 中之島の後2カ所目は大坂城跡発掘調査現場一般公開に行って来ました。
昭和59年の発掘調査で見つかった豊臣秀吉による築城時の石垣の一部を調査後に土で埋め戻されたものを約30年ぶりに再発掘されたものです。
発掘現場全体は、戦前の旧陸軍車庫が在った処で、頑丈すぎて壊せないコンクリート土台の下に広がっています。
解説をされている大阪市教育委員会の職員に、石山本願寺遺構のお話を伺いましたが、石垣が定着するのは安土城以降の事で石山本願寺には石垣は一般的には存在しないとのお話でしたが、野面積みの技法(穴太積みなど)が確立するのは戦国時代安土城以降に成りますが、それ以前にも石積みや石組みは存在する訳で、石山本願寺も当然築かれていたはずで石山本願寺の「石山」は石積み・石組みの事だと私は考えています。
発掘現場。
発掘された三つ葉葵文鬼瓦。
こちらは豊臣時代の瓦。
真ん中の瓦には金箔が残っています。
幕末・戊申戦役による失火での焦土層。
コンクリート土台の向こう、石列と石組溝。
この金蔵、戊辰戦役で新政府軍が金蔵の扉を開くと、大阪湾に停泊していた榎本艦隊が持ち去り中は空っぽで、その軍資金が後に函館政府の費用に充てられたと言われています。
瓦溜まり。
旧陸軍時代コンクリートの基礎部分。
こんな感じです。
この部分だけが豊臣時代の遺構だそうです。
旧大阪市立博物館の一部で、全国城郭ポスター展が開かれていました。
全国城郭ポスター展。