大阪城内には今でも色んな遺物が残ってますがこれもその一つ、場所は大阪城公園南西、修道館と多門櫓の間。
元々は陸軍第四師団通信隊が駐屯していた所で、その後 大阪衛戍刑務所が置かれ、大阪陸軍刑務所と改称し、陸軍刑務所は昭和14年中河内郡大戸村に移転、終戦までは大阪陸軍兵器補給廠が置かれていたそうです。
その陸軍刑務所時代の赤レンガ塀の一部と云われています。
「新修大阪市史 第7巻」に記述が有るそうです。
植込みの向こうに奥まってますので、気付かずに通り過ぎてしまいます。
内はどう成ってるんでしょうか。
修道館の西隣、写ってる石垣は多聞櫓です。
石組も当時のままのようです。
良く手入れされてますね。