大阪城公園『大坂本願寺推定地』碑

 「蓮如上人六字名号碑」から豊国神社を西に通り抜けて西の丸庭園に向かいますが、途中の「修道館」北西角に「大坂本願寺推定地碑」。

 この地に有ったと推定される「大坂本願寺城」に付いては、籠城していた本願寺勢が退去した後豊臣方に開城明け渡し、その後豊臣大阪城が築かれ、豊臣大坂城落城後は徳川大坂城と続き大規模な土木工事が2度行われ埋蔵物等も期待出来ずで、詳細については、文献資料の行間を読み解きながらこの辺りでは無いかと推定されてます。

 処で此方の碑文は些か古く「石山本願寺」と表記されてますが、「石山」は、江戸時代以降の文献に見られる呼称で、単に「大坂本願寺」と言うべきなので、比較的新しい「蓮如上人六字名号碑」では表題は別にして石山にはカッコつきで「大坂(石山)本願寺」とされていて、早くカッコも無くして単に「大坂本願寺」と表記される事を大阪市教委には期待しています。

 他にも最近では、徳川方が使いだした蔑称ともいえる遊女に冠した「君」を使った存在もしない人の名「淀君」との呼称も、歴史書や時代小説、映像作品から消えていて「淀殿」が一般的に成って来てますので。

 

「石山」は早く修正、少なくともカッコ付き位にはして欲しいと市教委にはお願いしたいです。

修道館前の碑は、徳川大阪城時代の「西大番衆小屋跡」碑です。