大坂城石垣復元・ドーンセンター

 日経新聞大坂城石垣から斜め向かいのドーンセンター北西角の大阪城復元石垣は、上町筋からも良く見えるのでご存じの方も多いと思いますが、此方の方は豊臣時代大坂城三の丸北端の石垣と云われ、大坂の陣以降破壊され土を盛られ地中深く埋められた幻の大坂城三の丸の遺構がドーンセンター建築工事に伴った発掘で現れたものです。

 大坂城三の丸とは秀吉終焉の年、関ケ原の2年前1598年に大坂城の防備を固めるため増築された城郭で、大坂冬の陣真田丸と同じく徳川によって徹底的に破壊され、その形状や規模すら不明の幻の城郭です。

 大坂城三の丸に付いては、上町筋を挟み南は長堀通、東は玉造稲荷神社辺りまでの地域が推定され、大坂城内堀の外を西から南にかけて大名屋敷などが広がっていたようで、その南に総構としての空堀大坂冬の陣では更にその南に真田丸が存在します。

 広大な地域だっただけに上町筋西側の建築工事現場ではそれらしき遺構が良く出土しますが、思いだされるのは大阪府警本部建て替え工事時に杭打ちが終わってから出てきた遺構の調査を打たれた杭の間を縫って行っていましたが、勘ぐれば遺構が出るのは予め予想された事で、事前調査の話が起こる前手早く杭打ちを済ませ規定事実化したとしか思えず、何時もながら大阪の各行政機関の文化財に対する関心の無さを思い知らされます。

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軽自動車に隠れて日経新聞の保存石垣が見えます。f:id:jotoyumekoi:20191007195745j:plain

江戸時代に確立した穴太積みではなく、野面積みの石垣。f:id:jotoyumekoi:20191007195757j:plain

隙間が目立つ様に成った様に感じますが、小さな石が持ち去られてるんでしょうか。f:id:jotoyumekoi:20191007195826j:plain

刻印が打たれたような石。
全て生駒山系と六甲山系の石だそうです。f:id:jotoyumekoi:20191007200020j:plain

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