比叡山に登るのに、大阪からだと京阪出町柳駅から叡山電鉄,・叡山ケーブルと言うのが一般的ですが、鉄道など存在しない時代は、船で伏見まで行って東海道を陸路、それから琵琶湖に出て船か湖岸沿いを行ったんだと思いますが、日吉大社・坂本に行って見て琵琶湖に向いて比叡山延暦寺の表参道登山口が有るのに気が付いて、なるほどと思った次第です。
正面は琵琶湖。
日吉馬場が二股に分かれ、右に比叡山登山口が有ります。
延暦寺表参道。
坂本五丁目と道標が立ってます。
ケーブル坂本駅からの戻り道「いってみようここまで来たらあと少し」の看板に誘われ「日吉東照宮」に向かいます。
ところがあと少しどころか500m以上距離があったと思いますが、急勾配を登りやっと唐門前に到着、上がってみると高台から琵琶湖の南湖が一望の下に見渡せ、疲れが一気に吹っ飛び息を切らせた甲斐が有りました。
残念な事に、関西の日光と称される国指定重要文化財の社殿拝観は土日祝しか叶わず拝観出来ませんでしたが、正面の同じく重要文化財に指定されてる唐門と周囲を廻る透塀だけでもその雰囲気が充分味わえます。
ケーブル坂本駅からの下り道。
権現川の石橋の向こう「いってみようここまで来たらあと少し」の看板。
琵琶湖南湖が一望。
ケーブル坂本駅からだと急な石段を登らず唐門前に来れます。
唐門。
唐門の彫刻。
唐門に嵌め込まれた透しから拝殿。
誰かが透かしに穴を開けてます。
日光東照宮も画やと思われる拝殿の彫刻。
唐門の透かし。
帰りは急勾配の石段を下りる事にします。
写真ではよく分かりませんがかなりの急勾配、結構危険でした。
石段を下りて鳥居をくぐった処、琵琶湖に向かい右に戒厳院。
本来の正面。
帰り道で分かった事ですが、日吉大社の大鳥居をくぐり舗装道路を右に向かえば石階段は有ります、山道も登らず距離も近くで行けます。
日吉大社の入口近く、比叡山上り口、早尾神社石段手前、朱塗りの三の鳥居をくぐった辺り、日吉桜玉垣の向かいの六角自動道、子育て地蔵・早尾地蔵尊。
本尊の地蔵菩薩立像は、比叡山開祖伝教大師・最澄上人作の石地蔵尊と伝え、右手を前にあげて印を結び、左手には如意宝珠を持ったお姿で、坂本六地蔵淵源の地です。
伝教大師が、童子養育に心を注ぎながら彫まれたので「子育て地蔵」とも呼ばれます。
この地蔵尊は、時として真盛上人として現れると云う謂れもある様です。
この地蔵尊は、日吉大社の中七社の1つ早尾神社への登り口に在ることからその名がある様です。
霊験あらたかなお地蔵さま。
六角地蔵堂の宝珠。
三の鳥居をくぐった処です。
延暦寺登山口の本坂脇に位置する「求法寺走井元三大師堂」。
三の鳥居をくぐって入山料徴収ゲートの手前に在るので見過ごしてしまいそうでが、1571年の織田信長の比叡山焼き討ちにより焼失後に再建されたものが再び焼失後1714年に再建され建物で、入母屋 杮葺、正面屋根入口は軒唐破風を配した佇まいで、建築年代も明確な江戸時代中期に建てられた寺院本堂建築の遺構として貴重な存在です。
赤いゲートを通るには入山料300円が必要です。
日吉大社は入山料が要りますが、それ以外の拝観料は必要ありません。
山頂近くに日吉大社奥之院牛尾宮が見えます。
求法寺。
天台座主第四世の安恵が里坊として創建したこの寺へ御神籤の創始者・慈恵大師良源も入っていたそうです。
走井元三大師堂。
入母屋、杮葺、平入、桁行5間、梁間3間、正面屋根入口は軒唐破風、外壁は真壁造白漆喰仕上げ。
走井元三大師堂横の手水。
八王子山山頂近く、日吉大社奥之院牛尾宮。登頂は今回はパス。
三の鳥居をくぐってすぐの所に流れる大宮川には四つの橋が架かっていて三つの石橋が「日吉三橋」と称し、国の重要文化財に指定されてます。
そのうちの豊臣秀吉が寄進したと伝えられている走井橋の傍らに四本の大杉が立ちのの根元に「走井祓殿社」が祀られ、ご祭神は川の女神「瀬織津姫神」が祀られています。
また、「走井」の名のごとく秀吉寄進の清めの井・走井が近くにあり、社殿下の湧水は名水としても知られています。
大宮橋。
西本宮(旧称:大宮)に向かう橋。三橋の中で最も豪華な造り。
走井橋。
走井祓殿社に向かう橋。6月末日、大晦日に行われる大祓式、山王祭始めのお祓いの儀式では、必ずこの橋を渡ります。
走井祓殿社と走井杉。
二宮橋。
東本宮(旧称:二宮)に向かう橋。現在は山王祭の時にのみ渡ることができる橋です。