史遊会特別見学会『京都太秦の古墳をめぐる』

 フィールドミュージアムトーク史遊会の特別見学会「京都太秦の古墳をめぐる」です。

 京都太秦と云うと謎の一族「秦氏」の本拠地の一つとされる山背国葛野郡葛野郷太秦秦河勝の墳墓とされる巨大な石室の露出した京都府下では最大の古墳・蛇塚が存在する地。

 「秦氏」と云うと最近の研究では血族や親族的な集団では無く、同じ地域の出身者集団や何らかの利益共同体では無かったかとの学説が唱えられていますが、私は「秦」を代紋と考えれば現在のやくざ組織との共通点を感じます。

 今回はその蛇塚と、国宝第1号の弥勒菩薩が安置される広隆寺を中心に、大阪府立近つ飛鳥博物館の広瀬学芸員の案内・解説で以下の行程を廻りますが、この日の京都市右京区太秦は最高気温35℃、その炎天下5時間強の行程でした。

 JR太秦駅集合~仲野親王塚古墳(垂蓑山古墳・片平大塚古墳)~千代ノ道古墳~蛇塚古墳~広隆寺(昼食)~大酒神社~松本古墳群~天塚古墳~木嶋坐天海御魂神社(蚕の社)~JR花園駅解散

 

午前10時、JR太秦駅集合。f:id:jotoyumekoi:20200901083331j:plain

良いお天気ですが暑くなりそう~。f:id:jotoyumekoi:20200901083341j:plain

仲野親王塚古墳。
仲野親王高畠墓古墳は、全長約75mもある大規模な前方後円墳で、築造年代は古墳時代後期の五世紀中期と考えられています。
しかし前方後円墳は、六世紀末頃には築造は終了したと考えられていることから、平安時代初期の仲野親王の墓が前方後円墳として築造されたとは考えられず、謎の多い古墳で御陵として保存状態が良い古墳だけに内部調査の必要を感じます。f:id:jotoyumekoi:20200901083356j:plain

太秦の街を歩きます。
そろそろ暑く成って来ました。f:id:jotoyumekoi:20200901083407j:plain

西高瀬川に架かるこの橋は千代の道橋、「千代の古道」近くです。f:id:jotoyumekoi:20200901083420j:plain

千代ノ道古墳。
古墳時代後期の築造と推定されていますが、墳丘は大きく損傷して半ば破壊された状態となっていて不明な点も多く、現在は住宅地駐車場の隣に存在します。f:id:jotoyumekoi:20200901083432j:plain

西高瀬川f:id:jotoyumekoi:20200901083445j:plain

蛇塚古墳。f:id:jotoyumekoi:20200901083458j:plain

周りを住宅に囲まれ住宅地に存在する古墳で、封土は失われ、飛鳥の石舞台古墳と比肩される巨大な石室が露出しています。f:id:jotoyumekoi:20200901083511j:plain

地元の方がカギを管理されていて、石室に入れる古墳です。f:id:jotoyumekoi:20200901083537j:plain

石室。f:id:jotoyumekoi:20200901083524j:plain

その巨大さから秦河勝の古墳とされますが、被葬者は不明です。f:id:jotoyumekoi:20200901083552j:plain

映画の街・太秦らしく「大映通り」です。
この後広隆寺拝観、昼食の後大酒神社へ向かいます。f:id:jotoyumekoi:20200901083604j:plain

広隆寺から大作神社を廻り「天塚古墳」。
お稲荷さんです。f:id:jotoyumekoi:20200901083015j:plain

石室が2か所あって、石室内にもお稲荷さんが祀られています。
この辺りの古墳は後期古墳群で、なんかよく分からない古墳が多いですね。f:id:jotoyumekoi:20200901083028j:plain

鳥居をくぐり上がった処にお社。f:id:jotoyumekoi:20200901083149j:plain

お社を入った左に石室。f:id:jotoyumekoi:20200901083039j:plain

石室。
お稲荷さんです。f:id:jotoyumekoi:20200901083139j:plain

反対側?の石室に廻ります。f:id:jotoyumekoi:20200901083052j:plain

石室。
こちらは建物は有りません。f:id:jotoyumekoi:20200901083128j:plain

お稲荷さん。f:id:jotoyumekoi:20200901083117j:plain

山を下り「木嶋坐天照御魂神社」に向かいます。f:id:jotoyumekoi:20200901083107j:plain