876年天皇に奏上された災いを封じる為、藤原興世が勅使として八坂神社に奉じお告げにより八坂神社の新宮として創建されたのが当神社、なのでご祭神は八坂神社と同じ素盞鳴尊 大己貴命を御祭神とされます。
古くから粟田口は「京の七口」と呼ばれ京都の東の玄関口で東海道に面し行きかう人々で賑わい、旅立つ人々の守護道中安全の神様として信仰を集めたそうで「京都十六社朱印巡り」の札所でも有りますが、ここ数年「刀剣乱舞」人気に肖った「京都刀剣御朱印巡り」4社中の一社として刀剣女子の人気を集め、当社では「三日月宗近・一期一振」の御朱印が授与されます。
三条通に面した提灯建の後ろに一之鳥居。
一之鳥居右は白川小学校跡地、住友商事が主契約者で複合施設が建設されます。
瀬戸に学び「古清水」とも称される粟田焼発祥の地。
京焼の野々村仁清も粟田焼で修業ののち御室で開窯したと言われます。
一之鳥居。
石畳の向こうに二之鳥居。
二之鳥居。
坂道と石段が続きます。
社務所が見えてきました。
途中で神馬の銅像。
拝殿。
本殿。
摂社の北向稲荷神社。
摂社、末社が並びます。
摂社の出世恵美須神社。
末社の太郎兵衛神社。
樹木の大剪定と危険木の伐採作業が始まったところ。
赤煉瓦の擁壁。
大正年間の物だそうです。
休憩所から京都が一望。
叡山より愛宕山まで北山を望め赤い大鳥居は平安神宮。
神楽殿。
左工事中は絵馬堂改め宝物殿改修工事。
石段を下ります。