粟田神社

 876年天皇に奏上された災いを封じる為、藤原興世が勅使として八坂神社に奉じお告げにより八坂神社の新宮として創建されたのが当神社、なのでご祭神は八坂神社と同じ素盞鳴尊 大己貴命を御祭神とされます。

 古くから粟田口は「京の七口」と呼ばれ京都の東の玄関口で東海道に面し行きかう人々で賑わい、旅立つ人々の守護道中安全の神様として信仰を集めたそうで「京都十六社朱印巡り」の札所でも有りますが、ここ数年「刀剣乱舞」人気に肖った「京都刀剣御朱印巡り」4社中の一社として刀剣女子の人気を集め、当社では「三日月宗近一期一振」の御朱印が授与されます。

 

三条通に面した提灯建の後ろに一之鳥居。f:id:jotoyumekoi:20200204152105j:plain

f:id:jotoyumekoi:20200204152126j:plain

一之鳥居右は白川小学校跡地、住友商事が主契約者で複合施設が建設されます。f:id:jotoyumekoi:20200204152115j:plain

瀬戸に学び「古清水」とも称される粟田焼発祥の地。
京焼の野々村仁清も粟田焼で修業ののち御室で開窯したと言われます。f:id:jotoyumekoi:20200204152135j:plain

一之鳥居。
石畳の向こうに二之鳥居。f:id:jotoyumekoi:20200204152154j:plain

二之鳥居。f:id:jotoyumekoi:20200204152354j:plain

f:id:jotoyumekoi:20200204152413j:plain

坂道と石段が続きます。f:id:jotoyumekoi:20200204152655j:plain

社務所が見えてきました。f:id:jotoyumekoi:20200204152729j:plain

途中で神馬の銅像f:id:jotoyumekoi:20200204152816j:plain

拝殿。f:id:jotoyumekoi:20200204154038j:plain

本殿。f:id:jotoyumekoi:20200204152943j:plain

摂社の北向稲荷神社。f:id:jotoyumekoi:20200204152913j:plain

摂社、末社が並びます。f:id:jotoyumekoi:20200204153205j:plain

摂社の出世恵美須神社f:id:jotoyumekoi:20200204153235j:plain

末社の太郎兵衛神社。f:id:jotoyumekoi:20200204153617j:plain

樹木の大剪定と危険木の伐採作業が始まったところ。f:id:jotoyumekoi:20200204153450j:plain

赤煉瓦の擁壁。
大正年間の物だそうです。f:id:jotoyumekoi:20200204153740j:plain

休憩所から京都が一望。
叡山より愛宕山まで北山を望め赤い大鳥居は平安神宮f:id:jotoyumekoi:20200204154022j:plain

楽殿
左工事中は絵馬堂改め宝物殿改修工事。f:id:jotoyumekoi:20200204153832j:plain

石段を下ります。f:id:jotoyumekoi:20200204153852j:plain

鍛冶神社

 粟田神社参道坂道、二之鳥居をくぐった左の駐車場片隅に粟田神社末社「鍛冶神社」。

 粟田口の刀工、三条小鍛冶宗近・粟田口藤四郎吉光と作金者(かなだくみ)の祖である天目一箇神を祀る鍛冶の神様。

 京都で刃物を扱う人達にとっては良く知られた神社で、知る人ぞ知る地味な神社だったんですが、数年前からPCゲームやミュージカル、アニメその後実写映画化され大ヒットした「刀剣乱舞」の刀剣女子に注目されだし、メディアそれぞれファン女子の参拝が引きも切らず状態で、神社側も一昨年木造の鳥居を石の注連柱に変え一般的な神社との差別化を図ったり、絵馬掛けを新設したりとニーズに合わせて?改修されてます。

 

参道途中駐車場入り口で、気付かず通り過ぎて仕舞いそうです。f:id:jotoyumekoi:20010327162500j:plain

鍛冶神社です。f:id:jotoyumekoi:20010327162510j:plain

日本刀にまつわる詩が刻まれてた左右の注連柱。
右の柱には徳川光圀の詠んだ歌「蒼龍猶未昇雲霄昇」。
左に柱には欧陽脩の漢詩一文「佩服可以攘妖凶 」。f:id:jotoyumekoi:20010327162520j:plain

新設された絵馬掛けに、以前木製の鳥居に掲げられてた扁額が上げられてます。f:id:jotoyumekoi:20010327162530j:plain

明治天皇御製の歌碑。f:id:jotoyumekoi:20010327162540j:plain

刀剣女子の絵馬。
誰も居ませんが一枚500円です。f:id:jotoyumekoi:20010327162550j:plain

東山三条通『粟田口』

 明智光秀公首塚にお詣りを済ませ「京都立春パワースポット巡り」は、三条通粟田神社まで粟田口を歩きます。

 

東山三条バス停から三条通をすぐ東に「古川町商店街」f:id:jotoyumekoi:20200204145136j:plain

古川町商店街アーケード横の和小物「一寿」。
同じ名前のお店が一念坂に有りますが。f:id:jotoyumekoi:20200204145106j:plain

f:id:jotoyumekoi:20200204145151j:plain

古川町商店街・本かしわ「鳥寿」。
先日TV大阪「おとな旅あるき旅」で紹介されてたかしわやさん。f:id:jotoyumekoi:20200204145409j:plain

「おとな旅あるき旅」で三田村邦彦が頂いてたコロッケをゲット。f:id:jotoyumekoi:20200204145356j:plain

ゲストハウス「京都しらかわ」f:id:jotoyumekoi:20200204145603j:plain

ゲストハウスの隣のトンネル長屋。f:id:jotoyumekoi:20200204145616j:plain

三条通・白川に架かる「白川橋」。
ここから東へ蹴上辺りまでが「粟田口」と呼ばれます。f:id:jotoyumekoi:20200204151029j:plain

元東山ユースホテル現マンションの角「坂本龍馬結婚式場跡」だそうです。f:id:jotoyumekoi:20200204151113j:plain

老舗の昆布問屋・合名会社「浜庄商店」。f:id:jotoyumekoi:20200204151400j:plain

東山三条通旧東海道、粟田口は京都への東入り口です。f:id:jotoyumekoi:20200204151415j:plain

この辺りは平安末期頃より刀鍛冶が住居を構え名刀「小狐丸」が有名ですが、そのせいか刀屋さん「玉山名史刀」f:id:jotoyumekoi:20200204151632j:plain

ゲストハウス「雅順」f:id:jotoyumekoi:20200204151854j:plain

ゲストハウス「雅順」のウインドウ。
ワンちゃんがお昼寝中。f:id:jotoyumekoi:20200204151823j:plain

通りの向い側「大阪屋こうじ店」
刀剣店「玉山名史刀」の一軒隣だったと思いますが、通り向いの神宮町に移転した様です。f:id:jotoyumekoi:20200204152015j:plain

次のパワースポット「粟田神社」到着。f:id:jotoyumekoi:20200204152115j:plain

坂本龍馬 お龍『結婚式場』跡

 東山三条通粟田神社に向かう途中で「坂本龍馬 お龍 結婚式場 跡」。

 以前ここには東山ユースホテルが建ってた場所ですが、2009年に閉館約40年の歴史に幕を下ろし後にはマンションが建って、「結婚式場 跡」碑もそのまま引き継ぎ碑は2011年建碑なので2年間は東山ユースホテルの表に建ってた事に成ります。

 龍馬とお龍は、西郷隆盛 或は中岡慎太郎の媒酌で二人は婚姻関係を結んだというのが通説でしたが、父親が青漣院中川宮の侍医だった事からこの地に有った青漣院塔中・金蔵寺住職・智足院の仲人で内祝言を挙げたと言うお龍の回顧により根拠とされますが、この辺り今と違ってご本人以外でも何をもって結婚と解釈したかと云う事かなと思います。

 処で、青漣院塔中・金蔵寺自体もう少し南に有ったという指摘も有りますが、土地を提供する方にすれば表通りに面する目立つ所に置きたいですよね。

 

以前はユースホステルが建ってました。f:id:jotoyumekoi:20200204151113j:plain

f:id:jotoyumekoi:20200204151123j:plain

ユースホステルの頃はもっと左の建物中心寄りに建ってました。f:id:jotoyumekoi:20200204151149j:plain

f:id:jotoyumekoi:20200204151217j:plain

梅宮社・明智光秀公の首塚

 狛ねずみの大豊神社から京都市バスで東山三条へ、そこから三条通を少し東の白川沿いを少し南に、今回の「京都立春パワースポット巡り」二つ目の目的地「梅宮社・明智光秀首塚」。

 明智光秀公の首に関しては諸説ありますが、吉田兼見「兼見卿記」に割と詳しい記載が有り、落武者狩りの土民に襲われ深手を負い股肱の忠臣・溝尾茂朝介錯、襲われた小栗栖辺りの竹薮に隠されますが二日後発見され、捕えられ斬首された斎藤利三の屍と共に首と胴を繋いで粟田口で数日晒された後近くに埋め塚を築いたと有り、江戸時代の京都の地誌などにはその地が蹴上辺りに有り名所の様な扱いだった様です。

 その後、江戸時代中期に石卒塔婆がこの地に移され明智光秀公を弔う地として首も埋められたと伝わっているそうで、他に明智光秀公の胴塚が襲われた伏見区小栗栖の明智薮にて祀られています。

 私的には母方の先祖が美濃源氏で、明智光秀公とは縁続きなので是非来て見たかったパワースポットなんですが、この塚をお世話されてる天保年間から続く和菓子屋「餅寅」さんがお休みで、銘菓「光秀饅頭」が買って帰れず残念です。

 

三条通から白川沿いを少し南に。f:id:jotoyumekoi:20200205181319j:plain

餅寅さん左の路地奥に「梅宮社・明智光秀公の塚」。
何と「餅寅」さんがお休み。f:id:jotoyumekoi:20200205181332j:plain

白川に架かる何とも素敵な石橋を渡ります。
石橋を渡った右の京町屋「東山三条白川庵」は一棟貸しの宿で「餅寅」オーナーの経営だそうです。f:id:jotoyumekoi:20200205181345j:plain

餅寅さんの左路地奥「梅宮社・明智光秀公の塚」。f:id:jotoyumekoi:20200205181359j:plain

f:id:jotoyumekoi:20200205181414j:plain

f:id:jotoyumekoi:20200205181450j:plain

f:id:jotoyumekoi:20200205181513j:plain

明智家の末裔「明智憲三郎」さんの記事が貼って有ります。f:id:jotoyumekoi:20200205181503j:plain

この石卒塔婆が蹴上から移された「首塚」なのかな?f:id:jotoyumekoi:20200205181425j:plain

光秀公の戒名「長存寺殿明窓玄智禅定門」が刻まれてるので墓石?f:id:jotoyumekoi:20200205181437j:plain

東梅宮の東は方向です。f:id:jotoyumekoi:20200205181523j:plain

餅寅さんお休み、また来よう!f:id:jotoyumekoi:20200205181535j:plain

京都立春十二支パワースポット巡り・庚子『大豊神社』

 毎年年が明けると、上方の松の内とされる15日 20日までにはその年の十二支に因んだ京都の神社仏閣を尋ねますが、今年は子年と云う事で白川沿いの「狛ねずみ」で名の知れた「大豊神社」が昨年末からTVやNETなどでの露出度が高くスゴイ人出の様で逡巡して居る間に2月と成り、それならば何年か前の申年に日吉大社を尋ねた立春でも良いかなと云う事で「京都立春十二支パワースポット巡り」に成りました。

 例年「新春十二支パワースポット巡り」の頃は、粉雪交じりの曇り空の下京都を徘徊しますが、今年は陽光麗らかな春本番を思わせる早春の京都東山を散策します。

 大豊神社の創建は、887年宇多天皇の病気平癒を祈願するため、藤原淑子が勅命を奉じて薬の神様・少彦名命を東山三十六峰の第十五峰目に当たる椿ヶ峰に奉祀したのが起こりだと伝えられていて、鹿ケ谷・南禅寺一帯の産土神とされるようです。

 今回の目的「狛ねずみ」は、末社大国主をお祀りする社の前に置かれています。

 

白川に架かる大豊橋袂の灯篭が大豊神社の目印。f:id:jotoyumekoi:20200205131649j:plain

f:id:jotoyumekoi:20200205131700j:plain

石畳の坂道を登ると大豊神社。f:id:jotoyumekoi:20200205131714j:plain

坂道を上がった処に「椿ヶ峰の御神水」。
銘水だそうです。f:id:jotoyumekoi:20200205131727j:plain

f:id:jotoyumekoi:20200205131759j:plain

f:id:jotoyumekoi:20200205131745j:plain

絵馬殿。f:id:jotoyumekoi:20200205131813j:plain

主祭神拝殿右横に大国主社「狛ねずみ」が居ます。f:id:jotoyumekoi:20200205131829j:plain

大国主社。f:id:jotoyumekoi:20200205131851j:plain

大国主社。f:id:jotoyumekoi:20200205131906j:plain

f:id:jotoyumekoi:20200205131838j:plain

f:id:jotoyumekoi:20200205131918j:plain

狛ねずみ。f:id:jotoyumekoi:20200205131932j:plain

大国主社の左隣の「稲荷社」狛きつね。f:id:jotoyumekoi:20200205131946j:plain

稲荷社左奥の愛宕社「狛とり」、日吉社「狛さる」。f:id:jotoyumekoi:20200205131958j:plain

治病健康長寿と金運を司る狛へび。f:id:jotoyumekoi:20200205132010j:plain

大豊神社 主祭神少彦名命」「応神天皇」「菅原道真」がお祀りされています。f:id:jotoyumekoi:20200205132042j:plain

拝殿。f:id:jotoyumekoi:20200205132028j:plain

授与所。
お正月には大変賑わった様です。f:id:jotoyumekoi:20200205132055j:plain

狛ねずみのお神籤。f:id:jotoyumekoi:20200205132106j:plain

坂道を下りて鹿が谷通りに向かいます。
参道両脇には椿が植えられてます。f:id:jotoyumekoi:20200205132119j:plain

鹿が谷通り。
宮ノ前町バス停から京都市バスで東山三条へ、次のパワースポットへ向かいます。f:id:jotoyumekoi:20200205132133j:plain

お化粧地蔵尊

 「京都立春パワースポット巡り」の移動途中、東天王町バス停近くの「黒谷・金戒光明寺」南の岡崎でお化粧地蔵尊に遭遇。

 お化粧地蔵尊京都府宮津市周辺や福井県小浜市など日本海側と青森県津軽地方に多く見られる風習で、地蔵盆の風習の有る京都や小浜では地蔵盆に子供たちがお地蔵様にお化粧を施しますが、地蔵盆の風習の無い津軽地方などでは地蔵菩薩の縁日旧暦7月24日(関西の地蔵盆)に同じく子供たちがお化粧するようです。

 それにしても京都市内では大変珍しいと思います。

 f:id:jotoyumekoi:20200204131234j:plain

f:id:jotoyumekoi:20200204131256j:plain

南無阿弥陀仏の下は「三界萬霊等」と刻まれ、三つの世界すべての精霊に対して供養することの大切さを示す言葉で、最後の「等」は「塔」の意味です。f:id:jotoyumekoi:20200204131257j:plain

f:id:jotoyumekoi:20200204131306j:plain

毎年8月23日 24日前後の土日には地域の地蔵盆が行われてます。
後方の山は「金戒光明寺」。f:id:jotoyumekoi:20200204131332j:plain

丸太町通りから鹿ヶ谷通り

 何時もは京都の〇〇通を上がる下がる散策しますが、膝・腰 色々で「三条京阪前」から「東天王町」まで京都市バスを利用します。

 東天王町バス停からは丸太町通を東に鹿ヶ谷通丸太町通は終点、南禅寺境外塔頭「光雲寺」横の白川から分かれた疎水沿いを白川まで出て白川沿いを大豊神社に向かいます。

 

 三条京阪前バス停。f:id:jotoyumekoi:20200205131619j:plain

東天王バス停近く岡崎のお地蔵さん
京都や青森に多い化粧地蔵尊で、毎年8月23日 24日前後の土日には地域の地蔵盆が行われます。後の山は黒谷の金戒光明寺f:id:jotoyumekoi:20200204131332j:plain

岡崎通の「泉屋博古館」
「センオクハクコカン」と読みますが、泉屋(いずみや)は住友家の屋号。f:id:jotoyumekoi:20200204132341j:plain

元久邇宮家の菩提寺、今は南禅寺境外塔頭「霊芝山 光雲寺」f:id:jotoyumekoi:20200204132629j:plain

f:id:jotoyumekoi:20200204132725j:plain

霊芝山 光雲寺。f:id:jotoyumekoi:20200204132848j:plain

光雲寺向いのお地蔵さん。f:id:jotoyumekoi:20200204132909j:plain

奥が久邇宮家墓地。f:id:jotoyumekoi:20200204133118j:plain

宮内庁所管「久邇宮家墓地」。f:id:jotoyumekoi:20200204133152j:plain

右は光雲寺、奥の白川に続きます。f:id:jotoyumekoi:20200204133427j:plain

白川沿いを大豊橋へ。f:id:jotoyumekoi:20200205131634j:plain

白川に架かる大豊神社に続く大豊橋手前の「二三磨」。大豊神社に向かいますf:id:jotoyumekoi:20200204134047j:plain