西隆寺・塔跡

 昨年の平城宮跡歴史公園での「ツバメの塒入り」観察の折、目印のみずほ銀行西大寺支店が移転していて気が付かず見落としていた「西隆寺・塔跡」の見学。

 大和西大寺駅から矢田奈良線を少し東に行った所、三井住友信託銀行手前隣の移転した旧みずほ銀行横の通路を奥に行くと旧みずほ銀行ビルの裏手に石碑と案内板が有りましたが、旧みずほ銀行ビル敷地内だったらしく関係者以外立ち入り禁止に成ってて案内板が読めるまで近付けません。

 この辺り一帯は、称徳天皇孝徳天皇)の勅願で建立された西隆寺旧境内の一部で版築という工法で作られた建築基壇の上に三重塔(推定)が建っていたと言う様な内容が、案内板には記されています。

 

関係者以外立ち入り禁止です。

通路の奥に遺跡。

平城宮跡歴史公園『第一次大極殿』

 平城宮跡歴史公園での「ツバメの塒入り」観察に来たので少し遠回りして2010年に「大極殿」が復原され現在「南門」が整備中の「第一次大極殿院」を散策しながら「ツバメの塒入り」観察地点の復原事業情報館に向かいます。

 第一次大極殿院は、2010年に復原された「大極殿」を含む南北約320m、東西約180mの区間大極殿を取り囲む「築地回廊」「南門」「東西楼」が順次復原整備されます。

 

2010年に復原された「大極殿」。f:id:jotoyumekoi:20210813025229j:plain

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大極殿」から整備中の「南門」、一番遠くに1998年に復原された「朱雀門」。f:id:jotoyumekoi:20210813025258j:plain

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これまで2回一般公開され2022年3月完成予定の「南門」、この門の両側に「西楼」と「東楼」が置かれ、「大極殿」を含めて外周を「築地回廊」で囲まれます。f:id:jotoyumekoi:20210813025336j:plain

平城宮の正門「朱雀門」。f:id:jotoyumekoi:20210813025322j:plain

朱雀門」を近鉄電車が横切ります。
何時も近鉄電車車窓から眺めている門ですね。f:id:jotoyumekoi:20210813025346j:plain

何れ、第一次大極殿院の東に第2次大極殿院が整備されます。f:id:jotoyumekoi:20210813025359j:plain

超昇寺石碑と隆光大僧正

 近鉄大和西大寺駅を東に二条辻地蔵尊を過ぎた辺りに古い石碑「超昇寺札所石碑」が建ってます。

 「超昇寺」は平安時代初頭に高丘親王が創建した寺院で、往時は壮大な伽藍を誇ったと思われますがその後荒廃、周辺の地名として残っていましたが「生類憐みの令」を徳川綱吉に進言したとの謂れの残る高僧・隆光大僧正が綱吉の死後失脚した後故郷に戻り隠居所として再興、その後明治期の廃仏毀釈で廃寺とされます。

 「生類憐みの令」を綱吉に進言「悪僧」と非難される隆光大僧正ですが、最近の研究では隆光大僧正が綱吉の側近として重用される以前に「生類憐みの令」は発令されていた様なので、隆光大僧正の関与は否定されつつ有るようです。

 その隆光大僧正の墓所は、平城京第一次大極殿へ東に向かう手前の「佐紀池」北のほとりに建ってます。

 

超昇寺石碑。f:id:jotoyumekoi:20210815232657j:plain

石碑裏は判別不能f:id:jotoyumekoi:20210815232708j:plain

北辺に隆光大僧正の墓所が存在する「佐紀池」。f:id:jotoyumekoi:20210815232717j:plain

二条辻地蔵尊(歓喜寺地蔵尊)と弘法井戸館

 近鉄大和西大寺駅から府道谷田矢田線を東に平城京大極殿との中間点辺り、府道奈良精華線との交差点に地蔵堂が2つ存在します。

 地蔵堂のお地蔵さんは、花崗岩から掘り出し高さ190cmの舟形光背を背負って蓮華座上に立つ像高140cmの地蔵菩薩立像は鎌倉時代後期の作とみられ、奈良県でも屈指の秀作として知られているそうで、両脇には小さなお地蔵さんが祀られていました。

 弘法井戸館の方は、左に1547年銘の五尊板碑、室町時代の不動を中心とした四方仏を表現したそうで、中央の頭部山形板碑には阿弥陀立像とその上部には梵字が刻まれています。

 弘法井戸館名称の由来と思われる地蔵尊像前の枯れた井戸は、塞がれていて跡には拝石が置かれています。

 

左に弘法井戸館、右は地蔵堂f:id:jotoyumekoi:20210815205600j:plain

 道路の真ん中なんで両サイドには頑丈なコンクリート側壁が据えられています。

左コンクリート側壁の内側。f:id:jotoyumekoi:20210815205623j:plain

弘法井戸館、井戸跡には拝石。f:id:jotoyumekoi:20210815205611j:plain

二条辻地蔵尊f:id:jotoyumekoi:20210815205635j:plain

秋篠川

 平城宮跡歴史公園での「ツバメの塒入り」観察に向かう途中、大渕池を源流に奈良県北部を流れる大和川中流部・佐保川の支流「秋篠川」。

 「秋篠川」平城京造営に合わせて直線的に付け替えられ、平城京への物資の輸送路として「西の堀河」とも呼ばれていました。

 今では川沿い1km以上に渡り美しい桜並木が広がり、2010年10月 秋篠川に舟運を復活させるプロジェクトがすすめられ「秋篠川舟下り」が社会実験として実施されてます。

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西大寺橋から「秋篠川」。f:id:jotoyumekoi:20210814055206j:plain

西隆寺・回廊跡遺跡

 平城宮跡歴史公園での「ツバメの塒入り」観察では近鉄奈良線大和西大寺駅を下車、そのまま東に平城京跡に向かいますが、向かう途中に駅前開発で発掘され和同開珎出土でも良く知られた「西隆寺遺跡」が保存されています。

 「西隆寺」は、現存する僧院の「真言律宗総本山・西大寺」に対する尼寺として西大寺創建の6年後770年に創建され、南都七大寺の寺格を有する西大寺に続く格式を有した官寺で有った様です。

 回廊遺跡の場所は、大和西大寺駅北口を出て道路を東に渡った商業ビルの裏に成り奈良文化財研究所の紹介ビデオに沿って歩きますが、紹介されてた塔跡に行く目印のみずほ銀行西大寺支店が3月に移転していて気が付かず見落としていて少し残念です。

 このリンクから奈良国立文化財研究所が1976年に発行した 詳細な「西隆寺発掘調査報告書」がDL出来ます。

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赤丸の部分が保存されています。f:id:jotoyumekoi:20210814045737j:plain

案内板赤丸の角の部分。f:id:jotoyumekoi:20210814045726j:plain

外側、ここも遺跡の一部。f:id:jotoyumekoi:20210814045748j:plain

丹生川上神社(中社)

 つくばね発電所見学会の最後に水神総社「丹生川上神社 (中社)」参拝。

 ご祭神は「罔象女神(みづはのめのかみ)」水一切を司る水利の神で、同じ水神でも貴船神社の「高龗(たかおかみのかみ)」は龍神を現し治水を司る治水神で、「罔象」は水の恵みも併せ持つ利水神とされます。

 「丹生川上神社」は上下社とここ中社の三社合わせて「丹生川上神社」と称し朝廷の定めた二十二社中下八社に数えられ、上下社はそれぞれ時代変遷を経て治水神の「高龗」と「闇龗」をお祀りしてますが各神社の由緒由来なんかから見ると中社と同じ利水神「罔象」をお祀りしてた様に私は考えます。

 処で、ご祭神が「罔象女神」と云うと私の地元の産土神「野江水神社」と同じ神様で、この日大阪メトロに乗ろうと野江水神社境内を横切っていると川端宮司にバッタリお会いし「丹生川上神社」にこれから行く処等々久しぶりにお話してたら危うく集合時間に遅れそうになり結局10分程度の遅れで済みましたが、その事を丹生川上神社・日下宮司にお話しすると大変喜ばれ野江水神社・川端宮司もよくご存じなんだそうで、正に「罔象女神」のお引き合わせでした。 

 

丹生川上神社 (中社)到着。f:id:jotoyumekoi:20200701040801j:plain

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拝殿。f:id:jotoyumekoi:20200701040838j:plain

社格官幣大社なので菊花紋を使用。f:id:jotoyumekoi:20200701040848j:plain

奥に本殿。f:id:jotoyumekoi:20200701040954j:plain

予定には無かったそうですが日下宮司からお話を伺ってます。f:id:jotoyumekoi:20200701040913j:plain

平安時代には二十二社の一つに数えられた神社で、勅願の社として祈雨に黒馬、止雨に白馬を朝廷が献上する神事が行われ、それに因み関電東電の絵馬が拝殿に掲げられています。f:id:jotoyumekoi:20200701040902j:plain

拝殿天井。
梁は吉野杉ですが天井板は木曽檜だそうです。f:id:jotoyumekoi:20200701041005j:plain

樹齢1000年程,樹高51.5m,幹廻り7.1mの願いが叶う「叶えの大杉」と罔象女神の瑞々しい秘めた力と恩恵を受けた御神水の手水水「丹生の真名井」。f:id:jotoyumekoi:20200701040928j:plain

神社境内、神社周辺にもかなり広い神域を有しているそうです
山深き地ですが、拝殿前には広い駐車スペースが設けて有り初詣の賑わいが伺えます。f:id:jotoyumekoi:20200701040942j:plain

東吉野『白髭神社』

 つくばね発電所の建てられてる日裏川に架けられた白髭橋を渡った所に「白髭神社」が祀られています。

 滋賀県高島の湖上の厳島と云われる白髭神社の分霊社だと思いますが、参道にも成るのか手前の橋が白髭橋と有る事から元々白髭神社の有った所が整地されつくばね発電所が建設された様に思われ、東吉野村にはもう一社白髭神社がお祀りされてる様です。

 白髭神社のご祭神は「猿田彦命」。

 

手前 白髭橋の向こう新旧のつくばね発電所に挟まれた白髭神社f:id:jotoyumekoi:20200701035717j:plain

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モミジで覆われた手水水。f:id:jotoyumekoi:20200701035730j:plain