秋の京都御苑『猿が辻』

 「秋の京都御苑 自然教室」終了後、京都御苑を散策。

 

京都御苑の歴史
 1869年(明治2年)明治天皇の東京遷幸が挙行され、これに伴って、多くの公家達も東京に移住したため、公家町は急速に荒廃していきました。  
 1877年(明治10年)に京都に還幸された明治天皇は、その荒れ果てた様子に深く哀しまれ、京都府に御所保存・旧慣維持の御沙汰が下されました。  
 この御沙汰をうけ京都府では、直ちに屋敷の撤去、外周石垣土塁工事、苑路工事、樹木植栽等の「大内保存事業」を開始し、1883年(明治16年)に予定を繰り上げて完了しています。  
 1883年(明治16年)9月、御苑の管理が京都府から宮内省に引き継がれた後も整備は続けられ、1915年(大正4年)の大正大礼に際して、建礼門前大通りの拡幅改良等の改修工事が行われ、ほぼ現在の京都御苑の姿が整いました。
             以上は、京都御苑の歴史中程(京都御苑HPより)

 

学習院跡。f:id:jotoyumekoi:20201001021023j:plain

  弘化4(1847)年、孝明天皇は、御所の空き地の一部に学門所を建て、40歳以下の公家をはじめ、御所に勤めている役人たちやその子弟を集め「学習院」と名付け、国学や歴史を教えました。

 幕末期には、若手公卿が尊王攘夷派の志士と面会する場となり、各藩から学習院に派遣される要員は学習院掛あるいは学習院出仕と呼ばれ、主な志士だけでも「真木和泉」「久坂玄瑞」「高杉晋作」「平野国臣」「福羽美静」などが居ります。

 現在東京にある「学習院大学」は、明治天皇が京都由来の学問所名に因んで、名付けられたと言われて居ます。

 

京都御所東側外壁。f:id:jotoyumekoi:20201001021034j:plain

「猿が辻」。f:id:jotoyumekoi:20201001021043j:plain

 京都御所の東北角は鬼門とされ、築地塀の角を欠いて日吉山王社の神のお使いの猿を祀っています。

 この猿が夜な夜なぬけだしては通行人にいたずらするため、金網で封じ込めたと伝えられています。

 「三条実美」と並んで尊攘過激派公卿の中心的な存在「姉小路公知」が、暗殺された「猿が辻の変」がこの辺りに成ります。

 気丈にも「姉小路公知」賊の刀を奪い取り屋敷の玄関まで辿り着きますが、手当ての甲斐無く一命を落とします。

 その刀が薩摩藩士「田中新兵衛」の物では無いかと言われ、犯人とされた「田中新兵衛」は京都奉行所にて取り調べ中に、その刀で自害。

 結果、薩摩藩は朝廷から遠ざけられ朝廷は長州藩一辺倒と成り、巻き返しを図った薩摩藩の「八・一八政変」から、「禁門の変」に繋がります。

 マタマタ幕末歴史の一コマです。

 

金網で封じられた、御幣を担いだ猿。f:id:jotoyumekoi:20201001021054j:plain

瓦に「十六弁菊花紋」が焼き込まれて居ます。
「十六八重表菊」が日本の天皇と皇室を表す紋章です。f:id:jotoyumekoi:20201001021105j:plain

京都御所北側。f:id:jotoyumekoi:20201001021116j:plain

内裏外郭「朔平門」。f:id:jotoyumekoi:20201001021125j:plain

  この門を抜け、すぐ南の「玄輝門」を通れば後宮の「貞観殿」の裏に出ます。

 女御など、女性の参内に多く用いられた。また、勅許を得ている者以外は、ここから牛車を降り、輦車、もしくは徒歩で内裏に入りました。

 前記「猿が辻の変」を「朔平門の変」と呼ぶ事も有る様です。

 兵衛府の陣があったことから「北の陣」とも呼ばれます

 

「朔平門」正面。f:id:jotoyumekoi:20201001021137j:plain

 京都御苑には、周囲に9箇所の御門がありまが、京都御苑外周門を「御門」と呼び、京都御所・内裏、大内裏の門を単に「門」と呼びます。

 朔平門から北の「今出川御門」に向かいます。

 

右手白壁が「桂宮邸」跡。向かいが「近衛邸」跡、近衛池です。f:id:jotoyumekoi:20201001021149j:plain

 「桂宮邸」跡は、京都御苑の官舎(宿舎)に成って居て入る事が出来ませんが、建物は明治26年に二条城の本丸御殿として移築され、何も無い様です。

 以上で、京都御苑・秋の自然教室Part 1、Part 2を終了しますが、今回は昼食後「京都町屋散策・キョウトパワースポット巡り」コースを設定。

 晴明神社から神泉苑まで「キョウト・パワースポット」をブログ後編にて探ります。

 

桂宮邸」跡。f:id:jotoyumekoi:20201001021201j:plain