枚岡神社【神津嶽・登拝】

 「注連縄掛神事・お笑い神事」終了後、「枚岡神社・本宮」「神津嶽」登拝に向かいます。

 

 枚岡神社は、永く神津嶽にお祀りされましたが、孝徳天皇の白雉元年(はくちがんねん)(650年)9月16日に、平岡連らにより山麓の現地へ奉遷されたと伝えられています。
 神護景雲(じんごけいうん)2年(768年)に、天児屋根命・比売御神の二神が春日山本宮の峰に影向せられ、春日神社に祀られました。このことから当社が「元春日(もとかすが)」とよばれる由縁であります。

 

 以上、枚岡神社HPにその由緒が語られていますが、枚岡神社本来の御神体が「神津嶽」と云う平らな岡で在った様で、古墳の様です。

 

本殿横枚岡梅林入り口辺り。

 「四條縄手の合戦」で敗れた楠木正行が、弟・正時と刺し違え自刃の後、討ち取られた「楠木正行」御首の首洗い池跡に掘られたと伝えられる井戸。

 楠木正行の供養塔は四條畷市四條畷神社にも有りますが、「四条縄手の合戦」は現在の四條畷市周辺ではなく、東大阪市四条町辺りで有ると言われており、枚岡神社から南の四条町、同じく北に成ります額田町に首塚が有る事などからも、ロケーション的には此方の方に整合性が有ると考えます。

 以上話しが少し横道にそれましたが、この辺りからが「神津嶽」登拝道に成る様です。

ハケ・ブラシの顕彰碑がありました。今でも東大阪市の重要産業です。

登拝道を登ります。

地図で確認すると大した距離ではありませんが、カナリの急勾配です。

途中の枚岡山展望台で小休止をします。

 だいたい全行程三分の二位の地点だそうですが、日頃の運動不足が災いしまして少し堪えました。

展望図。

久しぶりに成ります大阪平野の眺め。ギッシリ建物が詰まっています。

展望台からより急な斜面を上り、ヤットコ登拝口に辿り着きました。

枚岡神社本宮「元春日」。

石造りの社殿。

 社殿などは、平成5年新たに御祀りをされたそうで、元々は建築物の様な物は何も無かったそうです。

枚岡神社創祀の碑。

碑文。

本宮を後に、急勾配に気を付けて枚岡山展望台に戻ります。

行きと同じく、展望台で小休止。

 展望台から権禰宜さんの「ワッハッハー」を先導に、全員での「大笑い」で本年の笑い納めです。

笑い納めの後、全員で拝礼。

帰り道、木の切り株が有りました。

こんな感じの坂道を下って行きます。

深山幽谷。霊験な雰囲気が辺りに漂います。

 枚岡梅林に戻って来ました。

平瀬露香句碑には「あし能丸家貞英 皆我物そ 野も山も 氣ふ乃 月」と刻まれています。

植樹の記念碑。

梅林中のベンチとテーブル。ミッキーマウスとミニィーマウスですか?

枚岡梅林入口。枚岡神社に戻って来ました。

巽参道、権禰宜さんの誘導で拝殿へ向かいます。

拝殿前で宮司さんのお話をお聴きします。
写真ではよく分かりませんが「雪模様」です。

 宮司さんのお話では、今回の一般参加は関係者のみでの試行で、来年からの『お笑い神事』では広報などに力を入れ、ゆくゆくは何千人、何万人の「ワッハッハー」を大阪平野に轟かそうとの事でした。

 また、「お笑いの本場大阪」の「お笑いの聖地」にしようとのお話も有り、今後の展開が楽しみに成りました。

 来年も時間が取れればまた参拝して見ようと思いますが、来年は「神津嶽」登拝で息が切れない様に、一年間節制する事にします。

以上で解散。もう一度、拝殿横から御本殿と神津嶽を望みます。

拝殿正面に、初詣用「卯」の大絵馬が掲げられていました。

 絵馬の左下の「幡」に「下り藤」の社紋が染め抜かれていますが、ヤハリ春日大社と同じ社紋です。

 拝殿前急勾配の石段。木々も葉を落とし冬支度を整えた様ですが、山々には未だ所々紅葉が残っていました。

「元春日」の異名が有る通りに、狛犬の代わりに「狛鹿」が鎮座しています。

コチラは吽形でしょうか、「狛鹿」です

「岡倉天朋」画伯筆の「笑いの神様」。色々な図柄が有る様です。

テントも片付けられ、人影も疎らに成ました参道。

二の鳥居から神津嶽。

街歩き名物猫「枚岡・猫」。

二の鳥居から道路を渡り石段を降りた正面が、近鉄奈良線・枚岡駅です。