今回の兵庫県福崎町・調査見学会メインテーマとも言える「大庄屋・三木家住宅修復現場」。
三木家は、1655年 播磨国にあった港町の飾万津から当時の姫路藩主榊原家の命で福崎町辻川の地に移り住み新田開発などを行い、1871年の廃藩置県まで姫路藩の大庄屋として地域の政治・経済・文化の中心的存在となり、明治期には地元福崎町出身の柳田國男が10歳から12歳頃まで三木家に預けられ当家の蔵書を自由に読み耽り、著書「故郷七十年」で「私の雑学風の基礎はこの一年ばかりの間に形造られたように思う」と記し自ら民俗学の萌芽を育み「私はこの三木家の恩誼を終生忘れることができない」と結んでいます。
1972年に三木家住宅が兵庫県指定文化財となり、2004年11月に三木家当主より福崎町へ移管後町有化され福崎町の財産として地域づくりの中心的施設とするための全面的解体修復が2010年11月から行われていて、その修復作業現場の見学です。
民家越しに、大屋根に覆われた三木家住宅修復現場が見えてきました。
三木家住宅修復現場。
表からは入れないので、裏に回ります。
裏から三木家住宅修復現場へ。
「角倉」と記した調査の木札が張られていて、母屋裏の蔵の一つの様です。
改築された箇所の様です。
辿り石が続きます。
左の蔵の壁はナマコ壁の様で、三木家は大庄屋とは云え武家の格式だった様です。
裏からなので井戸が有ります。
下に井戸が有り、台所の様です。
主屋に入った処。
時計は止まって居る様です。
修復現場。
屋根も取り払い、大屋根で覆われています。
三木邸が建てられた江戸時代初期以降の状態に修復するそうで、部材の年代調査のため木組だけを残し解体し、時代毎の改築箇所の調査を行って居ます。
この梁は見事です。
調査を進めながらの修復で、あと数年かかる様ですが、調査結果次第ではまだまだ伸びそうです。
格子一本づつにも調査の木札が張られています。
玄関通路。
瓦が埋められています。
玄関から。
三木邸修復現場を後に、柳田國男生家に向かいます。
三木邸の表は「銀の馬車道」と云われます。
「銀の馬車道」は、正式には「生野鉱山寮馬車道」と呼ばれ、生野鉱山の銀鉱石を播磨寿津港まで運ぶ馬車道です。