天神通りからJR長岡京駅線路沿いを南に行きますがなかなかガードに出会わず、JR東海道線を超えられず道が細く成って抜けたところでガードを超え、ちょうど勝龍寺城公園の北の道に出、勝龍寺公園北門から中へ。
勝龍寺城は、西国街道と鳥羽街道が交差する交通上の要衝に在り、南北朝時代 北朝方の細川頼春が築いたのが最初とされますが根拠に乏しく、応仁の乱の頃に畠山義就が郡代役所を置いたのが確かな記録で「郡代の政庁から城郭に発展した典型的な例」と「日本城郭大系」に紹介されていて歴史の表に出てくるのは織田信長と三好三人衆の争いの頃、戦国末期に細川藤孝が入り藤孝の嫡男忠興に明智光秀の娘お玉(細川ガラシャ)が輿入れした城として今に知られ、私の母方のご先祖は信長と一緒に畿内に入った美濃衆で明智と同じ美濃源氏土岐氏に縁が有るそうなんで、何となく親近感が沸き2020年の大河「麒麟がくる」が待ち遠しく成ってます。
城跡は都市公園として櫓や城門が整備されていますが、考証を重ね検討された建物では無く、ただ考証しようにも資料が無いのでしょうがないと言えばそうなんですが、それらしく整えたレプリカ城郭で、平成4年バブルの余韻が漂ってる時期に勢いで整備したのかな、なんて想像しますが何も無いよりは形が有る方が良いと私は思ってます。
北門から公園内に。
北辺土塁。
公園内には発掘の成果が何カ所も駒札で掲示して有り、往時の姿を想像させます。
沼田丸への土塁を登ります
土塁から東面。
天守風の管理棟。
2階は資料館に成ってます。
管理棟前は日本庭園風に整備されてます。
地下水ですが水道水で飲めます。
公園正面の門。
城門の虎口が再現されています。