寿福山『仲源寺』

 四条通八坂神社参道・祇園商店街の中にある浄土宗の小さなお堂。

 開山は平安中期、本尊は地蔵菩薩、当初は四条橋東北に祀られたお地蔵さんで防鴨河使・中原為兼がこの地蔵尊に止雨を祈願したところ雨が止み洪水も収まった事から中原氏の姓に人と水を加え朝廷から「仲源寺」の寺号を賜り現在地に移ったとの謂れが有り、「雨止地蔵」とも呼ばれ何時の日か「目疾地蔵」とも呼ばれだし眼病に御利益有りのお地蔵さんとして信仰を集めてます。

 また、八坂神社 知恩院へのお詣り途中雨に会い、当寺以外雨宿り場所がなかった頃「雨止地蔵」とも呼ばれたとの謂れもある様です。

 毎年2月2日,3日の両日開かれる節分会で授与される「厄除開運起き上がりだるま」は節分限定アイテムで人気が有ります。

 ホントに小さなお堂ですが、本尊以外にも重文の千手観音像や阿弥陀如来像、瀬田の唐橋と同じ素材の大黒天などが祀られていて、来る時は何時も黄昏時で前を通るだけなんですが一度ゆっくりお参りして見たいお堂です。

 

山門くぐって本堂前すぐ左は水子供養の「水掛地蔵」。f:id:jotoyumekoi:20200204174227j:plain

「雨奇晴好」の扁額が掛けられてます。f:id:jotoyumekoi:20200204174218j:plain

祇園・花見小路

 三条から白川 粟田口を廻った「京都東山立春パワースポット巡り」も「八坂神社」で無事終了、黄昏の夕闇に包まれだした四条通を西に、途中「花見小路」。

 2011年の暮れ、送電線を地中埋設無電柱化された「花見小路」の見学に来た覚えが有りますが、あの頃から観光地として全国区に成りだし日中などでは中国人などアジアの観光客で歩け無い位だそうですね。

 

マスク姿・・、中国からの観光客かな。f:id:jotoyumekoi:20200204173814j:plain

火灯し頃の「花見小路」。f:id:jotoyumekoi:20200204173850j:plain

四条通を挟んだ北側は、観光地ではなく本来の歓楽街・祇園です。f:id:jotoyumekoi:20200204173806j:plain

えびす屋・人力車

 八坂神社南楼門前に「人力車」

 八坂神社周辺ではやはり西楼門前がメインらしく其方は3台か4台並んでました。

 最近は有名観光地では良く見られる観光人力車、何社か全国に運営会社が有るようですが、京都嵐山が発祥で20年の歴史が有るこの「えびす屋」が京都がメインなだけに一番大きな人力車屋さんの様で、南は「由布院」から北は「小樽」までお店が有るそうです。

 f:id:jotoyumekoi:20200204170924j:plain

八坂神社

 「京都東山立春パワースポット巡り」最後のパワースポット「八坂神社」

 主祭神は「素戔嗚尊」「櫛稲田姫命」「 八柱御子神」 の三神でスサノヲ一族が祀られて、明治初期の神仏判然令(神仏分離)以前は「牛頭天王 」「八王子」「頗梨采女」 と名前は変われど同じ神様がお祀りされ、神社の名称も「祇園神社」「祇園社」「祇園感神院」などと呼ばれていましたが「八坂神社」と改められています。

 創祀に付いては諸説あり、八坂神社社伝では656年に高麗よりの渡来使節の伊利之が新羅国の牛頭山の素戔嗚尊を奉斎したと876年南都の僧円如が建立との二説を紹介しています。

 京都に数ある総社の中でも祇園祭で良く知られ、伏見稲荷大社と並んで近年外人観光客が多数訪れる国際的に知名度抜群の神社に成ってます。

 f:id:jotoyumekoi:20200204164259j:plain

四条通東の突き当り「西楼門」。
写真撮ってる女の子たちは中国人ではなく日本人でした。
一度大晦日からの、年跨ぎ新年初詣に来て見たいです。f:id:jotoyumekoi:20200204164237j:plain

西楼門の随身倚像「老相」。f:id:jotoyumekoi:20200204164330j:plain

西楼門の随身倚像「青年相」。f:id:jotoyumekoi:20200204164340j:plain

手水舎。f:id:jotoyumekoi:20200204164422j:plain

蘇民将来」疫神社。f:id:jotoyumekoi:20200204164527j:plain

f:id:jotoyumekoi:20200204164545j:plain

太田社。f:id:jotoyumekoi:20200204164700j:plain

提灯建。
周辺境内には露店が並んでます。f:id:jotoyumekoi:20200204164829j:plain

祇園蛭子社。
祭神は今宮戎神社と同じ事代主です。f:id:jotoyumekoi:20200204164856j:plain

大国主社は修復中。f:id:jotoyumekoi:20200204164946j:plain

本殿。f:id:jotoyumekoi:20200204165028j:plain

本殿。f:id:jotoyumekoi:20200204165118j:plain

舞殿から本殿。f:id:jotoyumekoi:20200204165837j:plain

舞殿。f:id:jotoyumekoi:20200204165927j:plain

本殿東の摂社。f:id:jotoyumekoi:20200204165204j:plain

忠盛灯篭。
平清盛の父親、平忠盛にまつわる灯篭。f:id:jotoyumekoi:20200204165208j:plain

大神宮社。f:id:jotoyumekoi:20200204165209j:plain

宗像三女神をお祀りする「美御前神社」。
右に、美容水も有り女性に大変人気のある御社です。f:id:jotoyumekoi:20200204165307j:plain

悪王子社。f:id:jotoyumekoi:20200204165653j:plain

本殿右、北奥の「日吉社」。
日吉社」西にも摂社が数社。f:id:jotoyumekoi:20200204165520j:plain

北門。f:id:jotoyumekoi:20200204165526j:plain

常盤殿。
井上八千代さん奉納の灯篭。f:id:jotoyumekoi:20200204165620j:plain

常盤殿木外壁の額。f:id:jotoyumekoi:20200204165727j:plain

常盤殿木外壁の額。f:id:jotoyumekoi:20200204165733j:plain

南楼門。f:id:jotoyumekoi:20200204170408j:plain

南楼門。こちら側が正面に成ります。f:id:jotoyumekoi:20200204170618j:plain

石鳥居から南楼門。f:id:jotoyumekoi:20200204170717j:plain

祇園会館

 「京都東山立春パワースポット巡り」の終わり八坂神社に向かう途中に立ち寄り。

 1958年完成、設計はカーテンウォールを多用した圓堂政嘉、正面 8m×18mの大タイル壁画の作者は建築家の中村順平、絵心の有る建築家で壁面彫刻や壁画に秀作を残し、祇園会館はタイル壁画の代表作だそうで、タイルの作陶は泰山堂。

 中村順平の主催した「中村塾」に圓堂政嘉も学んだと言いますから師弟関係とも言えます。

 元は映画館で、今は「よしもと・祇園花月」が入ってますが、築62年あちこち経年劣化も目立ちますね。

 

タイル壁画のモチーフは「名古屋山三郎と出雲阿国」の歌舞伎おどり。f:id:jotoyumekoi:20200204163900j:plain

 タイル壁画内右下に「祇園会館」の大きなネオン文字が有ったんですが跡が少し黒っぽく残ってますね。

タイル壁画外左下のピンク台枠「よしもと祇園花月」も無く成ってます。f:id:jotoyumekoi:20200204164008j:plain

名古屋山三郎出雲の阿国f:id:jotoyumekoi:20200204164035j:plain

中村順平作
泰山堂と銘が入ってます。f:id:jotoyumekoi:20200204164016j:plain

f:id:jotoyumekoi:20200204164130j:plain

浄土宗総本山・知恩院

 青漣院から神宮通りを知恩院へ。

 ちょうど16時を過ぎた処で三門は閉じられ参拝は叶いませんが、1212年法然上人入滅、門弟たちが終焉の地である大谷に廟堂を築き、1604年徳川家康が、粟田口の守りを固める役割を持たせ青蓮院の地を割き寺地堂舎を造堂、現在の堂塔伽藍がほぼ完成。

 その城郭を思わせる高低差の有る広大な境内を歩くのは、膝がもう限界でまたの機会に時間も余裕を持って来たいと思います。

 

一番北の黒門。f:id:jotoyumekoi:20200204161630j:plain

f:id:jotoyumekoi:20200204161655j:plain

f:id:jotoyumekoi:20200204161719j:plain

f:id:jotoyumekoi:20200204161751j:plain

三門前。f:id:jotoyumekoi:20200204162142j:plain

日本最大級の三門。f:id:jotoyumekoi:20200204162219j:plain

南門。f:id:jotoyumekoi:20200204162502j:plain

参道民家の椿。
庭木としては低く刈り込まれますが、高さ20m位には大きく成るそうです。f:id:jotoyumekoi:20200204163001j:plain

参道から山門。f:id:jotoyumekoi:20200204163237j:plain

東大路通沿い「知恩院新門」。f:id:jotoyumekoi:20200204163658j:plain

青蓮院門跡

 天台宗の三門跡寺院とされ門跡寺院らしく現在の門主上皇の従兄弟・東伏見慈晃 師。

 1788年「天命の大火」で御所内裏が焼失した折仮御所と成ったため「粟田御所」とも呼ばれ、日本三不動の1つ「青不動」の寺でもある格式の高い寺院と言えます。

 御本尊は「熾盛光如来密教では特に信仰される仏頂尊の一尊、天台宗では天変地異に際して加持祈祷に用いられその光明で悪神を折伏する仏力を持ち、密教らしく呪術性の強い仏様で、東の東山(粟田山)山頂には国宝の青不動をお祀りする大護摩堂「青龍殿」が最近落慶し、また京都の始まりとも言える桓武天皇が築いた将軍塚が現存しています。

 親鸞が得度した寺院でも有り、三代門主・慈圓 は浄土宗の法然浄土真宗親鸞にも理解を示し擁護したとも伝えられます。

 

右は明正天皇中和門院の旧殿門を移築した長屋門、門前の5本の大楠木は京都市登録天然記念物です。f:id:jotoyumekoi:20200204160151j:plain

右に長屋門、正面は拝観門。f:id:jotoyumekoi:20200204160219j:plain

f:id:jotoyumekoi:20200204160150j:plain

拝観門から境内へ。f:id:jotoyumekoi:20200204160303j:plain

f:id:jotoyumekoi:20200204160318j:plain

まず左の「埴髪堂」の方へ。f:id:jotoyumekoi:20200204160344j:plain

以前は阿弥陀堂と言われた「埴髪堂」。
親鸞聖人の得度の折、剃髪した髪の毛を祀る御堂で、堂の北東に親鸞の髪の一部を納めた「親鸞聖人遺髪塔」が建てられてます。f:id:jotoyumekoi:20200204160505j:plain

阿弥陀如来親鸞像が祀られ納骨堂を経営されてて、納骨お仏壇はこの建物の階下。f:id:jotoyumekoi:20200204160700j:plain

f:id:jotoyumekoi:20200204160611j:plain

拝観経路です。f:id:jotoyumekoi:20200204160824j:plain

拝観受付。
時間も遅く今回はパス。f:id:jotoyumekoi:20200204160853j:plain

神宮道から青漣院「四脚門」。
明正天皇の中和門院の旧殿の門を移築、1893年の火災を免れている。f:id:jotoyumekoi:20200204161207j:plain

「四脚門」門前の大楠木。f:id:jotoyumekoi:20200204161301j:plain

粟田神社から神宮道

 粟田神社二之鳥居前を少し西に出た処で神宮道を南に次のパワースポット「青蓮院門跡」まで。

 今回の「京都立春パワースポット巡り」も「池田屋事変殉難志士墓所跡碑」に始まって「粟田神社」で八カ所目、そろそろ膝が限界ですが、ここから京阪で戻るとすると三条駅祇園四条駅も変わらないので「八坂神社」を最後に祇園四条駅で帰ることにします。

 

粟田神社二之鳥居根元「将軍塚」の道標が有りますが「将軍塚青龍殿」の事だとすると、八坂神社の東でここからだと山中を1㎞位トレイルする事に成ります。f:id:jotoyumekoi:20200204155028j:plain

正面からは「庚申堂」。
「粟田口庚申堂・尊勝院」は青蓮院の門主が住職を兼務していて粟田神社の南隣ですが一般公開はされて無いようです。f:id:jotoyumekoi:20200204155054j:plain

「粟田口庚申堂・尊勝院」への登り口、本堂の「元三大師」が本尊です。f:id:jotoyumekoi:20200204155217j:plain

取り壊されて更地に成ってる白川小学校裏の街路樹。
こんな古木を街路樹で大切にしてる京都市は尊敬します。
f:id:jotoyumekoi:20200204155328j:plain

右のお屋敷が取り壊されて現れた赤レンガ塀。
f:id:jotoyumekoi:20200204155638j:plain

至る所に椿が咲いてます。f:id:jotoyumekoi:20200204155646j:plain

神宮道に出た角に「尊勝院庚申堂」参道道標。f:id:jotoyumekoi:20200204155752j:plain

大きなお屋敷が建ってましたが更地に成り、残されてるのか大きな門構え。f:id:jotoyumekoi:20200204155838j:plain

「粟田口あおくすの庭」だそうですが大楠は無くて紅八重枝垂れ桜の公園です。f:id:jotoyumekoi:20200204160043j:plain

粟田口あおくすの庭。f:id:jotoyumekoi:20200204155506j:plain

次のパワースポット「青蓮院門跡」です。f:id:jotoyumekoi:20200204160149j:plain