7月26日は模擬原子爆弾『パンプキン』が大阪に投下された日

 77年前の7月26日、テニアン島を飛び立った509混成群団のB29一機が大阪上空に侵入、午前9時26分一発の大型爆弾を投下、死者7名 重軽傷者73名 罹災者1645名 倒壊家屋多数の被害出したこの爆弾、当初は AN-M66 通称1トン(2000ポンド)爆弾と思われていましたが、終戦から45年後米軍の公文書公開で長崎に投下されたプルトニウム原子爆弾「ファットマン」の投下訓練に使われた模擬原爆「パンプキン」(約4.5トン)だと判明、しかも1945年7月下旬から8月に掛けて本州、四国の18都府県に計49発の「模擬原爆」を投下、死者は400人を超え1200人以上が負傷という大きな被害を出し、終戦後のテニアン島の原爆基地には模擬原爆「パンプキン」が66発残っていたそうです。

 先日訪問した「ピースおおさか」の展示を見てこの記事書いてますが、「ピースおおさか」の開館が1989年、田辺に投下された爆弾が模擬原爆と判明したのが1991年だったので「大阪空襲を語り継ぐ」のがコンセプトの施設なんで、展示の見直しで慌てたのが想像出来ますね。

 写真の「模擬原子爆弾投下跡地之碑」は2012年2月の撮影で、2019年5月末に投下地跡の少し南に移転されてて現在とは背景が少し違っています。

 

左は長崎に投下されたプルトニウム原子爆弾「ファットマン」。
右が模擬原爆「パンプキン」(ピースおおさか)。

「ピースおおさか」の展示。

「ピースおおさか」の展示。

「原爆模擬弾(5トン爆弾)投下」。
20メートル近くの破裂穴、中から首や手足の無い遺体。

「模擬原子爆弾投下跡地之碑」。
現在では、2019年5月末のマンション建設に伴い少し南の恩楽寺山門に移設されてます。

大津市歴史博物館で製作された実物大レプリカ。

「パンプキン」模擬原爆をテーマにした児童書

模擬原爆投下地周辺の地図。