来年4月リニューアルオープン予定の藤田美術館エントランスの「あみじま茶屋」、4月に先行開業していて以前に前を通った折には行列が出来てて少しビックリしましたが、今ではゆったりお茶が楽しめそうです。
一部の美術館施設も先行公開されてる様なんで、時間を取って来てみたいですね。
後輪が写ってる E-バイクは私の愛車。
美術館の入口でも有る様です。
お茶が3種類、お団子セットで500円だそうです。
来年4月リニューアルオープン予定の藤田美術館エントランスの「あみじま茶屋」、4月に先行開業していて以前に前を通った折には行列が出来てて少しビックリしましたが、今ではゆったりお茶が楽しめそうです。
一部の美術館施設も先行公開されてる様なんで、時間を取って来てみたいですね。
後輪が写ってる E-バイクは私の愛車。
美術館の入口でも有る様です。
お茶が3種類、お団子セットで500円だそうです。
先日チラッと見かけて少し遠回りに成りますが天六からの帰りに立ち寄り。
以前には気が付きませんでしたので、お聞きするとお店の方は4年前からだそうで天満切子株式会社「切子工房RAU」のオフィシャルショップに成るそうです。
「江戸切子」や「薩摩切子」はよく知られていますが、「天満切子」は1933年に創業された宇良硝子加工所の創始者・宇良武一が生み出した技法で製造され、1998年宇良硝子加工所は名称を「切子工房RAU」と改め「天満切子」と命名して商品化した天満切子株式会社「切子工房RAU」のオリジナルブランドなんだそうで、大阪天満宮正門脇に「大阪ガラス発祥の地」碑が有るようにガラス製造の歴史は江戸よりも大坂の方が若干早かったようです。
以前に西淀川区の薩摩切子工房に伺った折、江戸切子は透明ガラスに手彫りで切子細工を施し、薩摩切子は色ガラスを被せホイールを用いて切子細工を入れるのでガラス自体も分厚くより細かな細工が施されていて双方ともV字形の刃で鋭角的な彫りが入りますが、天満切子はU字型の歯でカマボコ型の彫りが入り手磨きで仕上げるのでより柔らかな印象が有ります。
2019年の G20大阪サミットで、天満切子が国賓贈答品として贈られたのは記憶に新しい所です。
写ってる E-バイクは私の愛車。
このケースの作品は、創始者の宇良武一さんと宇良栄一さんの作品で非売品です。
大阪くらし今昔館の企画展示「重岡良子 花鳥画展『刻を紡ぐ写生から装飾・そして琳派を生きる』」です。
京都には、琳派400年記念を迎えた2015年辺りから自ら琳派を継承するとして「IMA 琳派」「現代 琳派」「琳派 今様」などの芸術活動が有るんだそうでそれぞれ画風が違ってる様に感じますが、今回企画展の日本画家・重岡良子さんの「IMA 琳派」はより琳派オリジナル画風に忠実な様に感じ、会場には美術館展示作品と違い時代色を感じさせない色褪せしてない鮮やな色調の屏風が並び「琳派」その物の華やかな絢爛さを感じます。
今回の企画展、当初は6月13日で終了でしたが、緊急事態宣言が発令され6月27日まで延長に成ったので1週間だけ間に有って鑑賞出来てます。
展示場内は撮影禁止なので外の展示です。
「桜ねこ」。
こちらの扇子は各5000円で販売されてました。
入口横のモニター。
写真は、「ヴィンテージ古着の忠実な復刻」というテーマを掲げた1995年創業の知る人ぞ知る中央区瓦町の高級ジーンズショップ「WAREHOUSE&CO. 大阪店」なんですが、左隣の店舗より間口の大きなバックヤード?の意匠が面白く、屋根が付いてて一見木造三階建に見えますが如何なんでしょうか。
三階窓の日除けテントに「OFFICE」のロゴ。
左は店舗です。
グランキューブ大阪の帰り、土佐堀川に架かる筑前橋を渡って東の阪神高速高架沿いを南に少し行くと角地(京町堀 1丁目辺り)の小さな公園「京町堀公園」に「京町堀川跡」碑。
京町堀川は、西横堀川の京町橋下流側より分流、西に向かって茂左衛門橋上流側で海部堀川と合流し百間堀川に注いでいた全長1080m幅30mの運河で、1617年京都伏見より移住した住人が開削したので当初は伏見掘川と呼ばれた様で、現在の西区京町堀と靱本町の境界辺りを流れていた運河で西に行くと雑喉場魚市場なども存在し舟運で賑わった運河だったようです。
戦後の大阪市内井路川・運河の例に漏れず、1955年に埋め立てられ道路に成り現在に至っています。
「京町堀川跡」碑。
1980年建立で、当時の大阪市長 大島靖 揮毫 と刻まれています。
禁煙の文字も見えますが、周辺オフィスサラリーマンの喫煙場所に成ってる様で、10人以上の方が喫煙中で写らない様に撮るのに少し苦労です。
2022年2月に開館予定の「大阪中之島美術館」。
やっとと言うか、もうここ迄出来てるんだ・・、と言うのが久しぶりに見た印象で、市長時代の橋下さんがぶち上げてた構想とは随分かけ離れた小規模な箱モノなんだ・・、と言ってしまうと元も子もないと思うので、大阪市が長年市民の目にも触れずに死蔵してたモディリアーニやルネ・マグリット、具体美術協会・吉原治良、大阪出身の佐伯祐三などの常設展示場が漸く具体的な形に成って表れた事には素直に喜びたいと思います。
処で当初は仮称として大阪近代美術館と言ってたのになんで「近代」の文字が無くなったのか、最初からこのプロジェエクトに係わられてる館長の菅谷さんに機会が有ればお聞きして見たいと思っています。
設計は遠藤克彦・遠藤克彦建築研究所、このデザイン私は正直に言って余り好きでは有りません。