能楽師と行くなにわめぐり ~江口の巻

f:id:jotoyumekoi:20220121202631j:plain 「能楽師と行くなにわめぐり ~江口の巻」 です。

 「大阪あそ歩」 のガイドさん、YUI企画代表の自主企画 「能楽師と行くなにわめぐり」シリ-ズで、大阪あそ歩特別版に成るそうです。

 平安時代末期から鎌倉時代にかけて都人が船で来訪し栄えた淀川べりの江口の里。

 西行法師と江口の君の一夜の語らいをモチーフにした謡曲「江口」の世界を訪ね、淀川と共に歩んたこの地の往時を偲びます。

 能楽師と行くなにわめぐり」 シリ-ズは、YUI企画代表が地道に続けられている企画物「大阪あそ歩」ですが、今回はコースが少し地味なのか、ガイド・サポーター合わせて参加者11名です。

 

地下鉄今里筋線・瑞光4丁目駅集合。f:id:jotoyumekoi:20220121202638j:plain

2006年開業の今里筋線でここまで来るのは初めてです。
ラインカラーは暖さをイメージした柑子色。f:id:jotoyumekoi:20220121202644j:plain

さっそく「江口の君堂」に向かますが、陸橋の下に石碑が立っています。f:id:jotoyumekoi:20220121202651j:plain

 

江口の君堂・寂光寺

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 江口君堂・寂光寺は正式には「宝林山普賢院 寂光寺」と号し、謡曲「江口」で有名です。
 三番目物、観阿弥作とも世阿弥改作ともされ、西行に仮託されている「撰集抄」より取材したと云われ、江口の君・遊女「妙」との歌問答が主題に成っています。
 「江口の君」は「平資盛」の息女で「妙」といい、平家が没落後、乳母の郷里であった当地に寄寓することになったが、歳月を得て遊女に身を落とすに至ったと、寺の由緒に在ります。

阿波野青畝の句碑 「流燈の 帯の句崩れて 海に乗る」。f:id:jotoyumekoi:20220121202709j:plain

謡曲史跡保存会」設置の駒札。f:id:jotoyumekoi:20220121202720j:plain

藤棚の下で、謡曲 「江口」の小謡を拝聴。f:id:jotoyumekoi:20220121202728j:plain

日蓮上人像」「江口の君像」「鬼子母神像」 を祀る本堂。f:id:jotoyumekoi:20220121202743j:plain

お寺の由緒書き駒札。f:id:jotoyumekoi:20220121202736j:plain

1917年7月建立「西行」「妙」の供養塔前で能楽師の先生のお話。f:id:jotoyumekoi:20220121202800j:plain

「江口の里」を後に次のポイントに向かいます。f:id:jotoyumekoi:20220121202752j:plain

 

淀川 『鵺』

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 謡曲 「鵺」、五番目物、季節は春、世阿弥の作だそうです。
 宿を断られ御堂で一夜を明かす事に成り、そこへうつほ舟で怪しげな男(源頼政によって矢で射殺の鵺の亡霊)が現れ僧に弔って欲しいと頼んで消え失せる。
 僧が約束どおり経を読んでいると「鵺」が本当の姿で現れ、成仏出来る事を願いながらも、沈んでいく月と共に闇の中へと消えていってしまうというお話ですが、私はてっきり「鵺」さんは消え去る事で成仏したと思い込んでいましたが、先生によると成仏はしていないそうで、色々調べて見ましたがやっぱり成仏はしていない様です。

晩秋の淀川、穏やかです。f:id:jotoyumekoi:20220121202815j:plain

 豊里大橋のたもとに「平田の渡し」が在りましたが、ガイドさんによると旭区側は「ひらたの渡し」と読み、東淀川川は「へいだの渡し」と読むのだそうです。

淀川堤防を歩きます。f:id:jotoyumekoi:20220121202827j:plain

 

淀川堤防を下りて次のポイントに向かいます。f:id:jotoyumekoi:20220122010432j:plain

 

大隈神社 『難波』

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 「大隈神社」では、応神天皇主祭神という事で、謡曲 「難波」 初番目物、作者は世阿弥
 という事ですが、謡曲 「難波」 は、仁徳天皇の徳を称えるストーリーで、応神天皇仁徳天皇の父という事で、関係が有ると云えばそうなのでしょうか。

鳥居の奥右手の社は天神さんで、やはり菅原道真大宰府に赴く時通った道の様です。f:id:jotoyumekoi:20220121202851j:plain

拝殿。f:id:jotoyumekoi:20220121201936j:plain

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大阪市史跡連絡遊歩道のタイル舗装。 それにしても少し多過ぎる様な・・・・。f:id:jotoyumekoi:20220121202858j:plain

 

逆巻地蔵

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 「逆巻地蔵」は、1846年、豊里大橋付近の阪巻村(現在は淀川の川底になった場所)に建立された地蔵尊で、この場所は淀川改修前は、大きく南に蛇行する場所で水流が激しく、帆を逆に巻いて船が運航した事から「逆巻の難所」と云われた地だそうです。
 謡曲とは直接の関係は無い様です。
 見学に伺った時は、ちょうど地元の方がお世話をされていて、少し驚かれた様子でした。

蓮台をいれて1.6mのお地蔵さんです。f:id:jotoyumekoi:20220121202005j:plain

 

「せせらぎの遊歩道」で、ガイドさんが「さかまきじょぞう」(絵本)の読み聞かせを行います。f:id:jotoyumekoi:20220121202906j:plain

「せせらぎの遊歩道」とは云うものの水は流れていません。f:id:jotoyumekoi:20220121202914j:plain

 

乳牛牧跡

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 古代律令制時代、この辺りには広大な乳牛の放牧場が在ったそうで「乳牛牧跡」で「ちゅうしまきあと・ちちうしのまきあと」と読むようです。
 こちらも謡曲の舞台ではない様です。

大阪市教育委員会」設置の説明版。f:id:jotoyumekoi:20220121202929j:plain

 

城東区などでも良く見かける、石垣で嵩上げした蔵。 水害対策です。f:id:jotoyumekoi:20220121202937j:plain

次のポイントに向かいます。 それにしてもよく歩くコースです。f:id:jotoyumekoi:20220121202944j:plain

 

大阪経済大学 『景清』

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 大阪経済大学のキャンパス敷地は、中世に繁栄した「三寶寺」だそうで、その三寶寺は「大日坊能忍」が創建した禅宗の寺院で、この大日坊が謡曲 「景清」や 「大仏供養」で有名な平景清の叔父に当たります。
 「景清」 四番目物、作者は世阿弥説有り。 「大仏供養」 四・二番目物。
 能「大仏供養」は平家の武将「悪七兵衛景清」を描いた作品で、立回りの能を作ろうとしたのか、日向に流された「悪七部衛景清」を慕って娘の「人丸」が訪ね、景清は盲目となり老残の身の能「景清」とは雰囲気の違う両作品です。

 

新幹線高架下 「瑞光寺公園」を次のポイントに 「瑞光寺」向かいます。f:id:jotoyumekoi:20220121202957j:plain

 

瑞光寺・雪鯨橋

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 「瑞光寺」は、天然山瑞光寺と号し臨済宗妙心寺派のお寺で、聖徳太子の創建と伝えられ、先に訪れた「景清」の三寶寺の全盛時代に堂宇のひとつに属したお寺でした。
 クジラの骨で作った 「雪鯨橋」(くじら橋)で有名です。
 橋は浪速の名橋50選に選定され、また日本百名橋の番外にも選定されています。

「くじら橋」の手前でガイドさんが少し説明。f:id:jotoyumekoi:20220121202535j:plain

今上天皇」と有りますが、ガイドさんによれば大正天皇だそうです。f:id:jotoyumekoi:20220121202543j:plain

架け替えられた先代「雪鯨橋」のクジラの骨。f:id:jotoyumekoi:20220121202559j:plain

「逆巻地蔵」の様に、絵本の読み聞かせをガイドさんがされています。f:id:jotoyumekoi:20220121202621j:plain

 東淀川区役所は区内に伝わる民話を絵本にする事業を行っていまして、先の 「さかまきじぞう」今回の 「瑞光寺のくじら橋」と 「たぬきのおんがえし」 など3冊が東淀川区編纂で発行されています。

「弘済池」に架かる、地元では 「くじら橋」とも呼ばれる 「雪鯨橋」。f:id:jotoyumekoi:20220121202552j:plain

本堂。f:id:jotoyumekoi:20220121202606j:plain

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 「江口の君堂」はよく近くを自動車などで通りますが、訪れた事も無いので参加して見ました。
 以前の「松虫」よりは、見学ポイントも少なくとにかく良く歩くコースで、「能」のポイントが少ないという事は能楽師さんの出番も少ないので、能楽師さんの小謡も「江口の里」で一回だけでした。
 という事で何時ものガイドさんのお話が中心のコースで、良く工夫はされていますが通常の「大阪あそ歩」との違いはそれほど感じられないな~~、と云うのが印象です。

 

瑞光寺を出た辺り、瑞光寺公園で1次解散。
私はガイドさんと阪急電鉄京都本線上新庄駅にて解散しました。f:id:jotoyumekoi:20220121202628j:plain