当社は794年「崇道天皇」を祀ったのが始まりで、その後仁明、清和天皇時代をへて7柱が合祀され、863年悪疫退散の御霊会が勅命で催され、国家、皇居、都民守護の社として朝野の崇敬を集ました。
なお境内の‘御霊の森’は応仁の乱の発端となった地。5月18日の祭日は「鉾」「神輿」「御所車(牛車)」の行列があります。
「御霊神社」という名前の神社は、日本各地に存在し、御霊信仰に基づきある人物の御霊・怨霊を鎮めるために創建されたものが多い様です。
寺町通を東に、「上御霊通」から御霊神社の向かいます。
御霊神社。
絵馬堂。
「福寿稲荷社」参道。
「福寿稲荷社」さん拝殿。
「清明心の像」。稲荷社参道横に在ります。
御霊神社拝殿。
舞殿の天井両サイドに、「三十六歌仙」の肖像額か掲げられています。
左下の自然石は、広辞苑編者で有名な「新村 出」の歌碑。
「応仁の乱 勃発の地」 駒札。
京都まち歩きの楽しさは、観光案内にもそれほど取り上げられない町中の寺院、神社にも大変な歴史的ヒストリーが存在し、境内を散策する事でその歴史的空間に触れ、時間を共有する事が出来る事です。
今回の鞍馬口通から寺町通の上善寺、閑臥庵、天寧寺、西園寺にも言える事で、掲げられた駒札を見れば良く分ります。
この辺りは、戦災と云えば「応仁の乱」と帰ってくる、京都ならではの「時間の連続性」が感じられます。
以上、本日は段々と五月に似合わぬ気温となって来た様で、この辺りまでは順調に京都パワースポット巡りが続きますが、この後大変な事に成ります。
その模様は、洛中パワースポット巡りと京都御苑 「春のトンボ池」に続きます。
御霊神社を後に、次のポイントに向かいます。