「プロが教える!お料理教室」の帰り、谷町筋に出て赤穂義士の寺で有名な天王寺の「吉祥寺」に立ち寄る事にしました。
1630年創建による曹洞宗の禅寺で本尊は釈迦如来、創建当時の住職・縦鎌師が赤穂出身で赤穂藩藩主・浅野主匠頭長矩と親くて事在るごとに訪れていたと言い、吉良邸討ち入りの後四十七番目の義士・寺坂吉右衛門が芸州の浅野本家に討ち入りの報告に向かう途中立ち寄り、江戸の「泉岳寺」で切腹した四十六名の遺髪や遺品などを持ち込み銀10両を添えて供養を託し、浅野本家によって吉祥寺に建立されていた主君・浅野主匠頭長矩の墓に寄り添うようにして1739年泉岳寺に先駆けて吉祥寺に赤穂義士の墓が建立されてます。
託された遺髪や遺品などは、1945年3月の大阪大空襲で堂宇をはじめ浅野主匠頭長矩候揮毫の扁額共々全て灰燼に帰し残るのは墓石だったそうです。
現在の吉祥寺境内には、新たに制作された大石内蔵助石像やリアルな表情の中にコミカルさも漂う外連味たっぷりの四十七義士石像が置かれています。
谷町筋沿道に有ります万松山・吉祥寺。
毎年12月の義士祭では、盛大なお祭りをされているのは良く見かけます。
1630年創建、曹洞宗のお寺です。
大坂における赤穂藩浅野家の菩提寺で、山門をくぐると大石内蔵助の石像。
山門には浅野家の家紋「丸に違い鷹の羽」。
少し奥に入ると、躍動感あふれる四十七義士の石像が有ります。
反対から。
仮名手本忠臣蔵が題材の様です。
石像の由来。
寺坂吉右衛門が、四十六義士の冥福を祈る碑の建立を吉祥寺に依頼したといういわれのある四十七義士の墓。
文楽三味線の名手として知られる歴代の野沢吉兵衛のお墓。
菩薩堂。
江戸時代中期の俳人・佐々木泉明が建立した「遊行柳と短冊の塚」。
大きな観音菩薩像。
石台に「マレーシア・シンガポール英霊」。
「元第44教育飛行隊」「元第24飛行場大隊」と彫られていました。
北向地蔵尊。
大阪城の東外堀にも当たる川が猫間川で、その水源は駒ヶ池・長池とも言われ、上町台地に降った雨を集め、上町台地の東側を北に向かって流れていました。
大石内蔵助良雄像。
「全機透脱」とは、全機・人間存在のすべての可能性を発揮する偉大な活動、透脱・生も生を透脱し、死も死を透脱。「正法眼蔵」からの様です。