特別企画展『大阪の近代化と町(ちょう) -水帳(みずちょう)から公文書へ-』

 大阪歴史博物館特別企画展「大阪の近代化と町(ちょう) -水帳(みずちょう)から公文書へ-」最終日に閲覧。

 「水帳」とは「検地帳」のことで明治初期から1950年代まで使われた「土地台帳」に変化し現在は「不動産登記簿」として整備されていて「水帳」の「水」は、古代律令制下の「御図帳」の当て字と言われます。

 今回の特別展は、1879年~1880年に掛けて町(ちょう)で起きた以下の三つの変化に注目、住民の高度な自治組織で在った大坂三郷を基にした町共同体の解体過程を古文書から紐解いていきます。

1.水帳における土地所有者名義の切り替え作業(帳切ちょうぎり)が終了すること。

2.町が作成した水帳が区役所に「移管」され、公文書となったこと。

3.町に町会という議会が導入されたこと。

 良く知られているように、1889年大阪府下4区を大阪市として市政が施行されるまで、変遷は有りますが各共同体ごとに議会が存在し課税徴税の根拠と成る「水帳」も町共同体で所有管理され、家持町人など特定の住民中心とは言え共同体自治組織が機能していたのが大阪で在ったと言えます。

 江戸時代の地方分権体制が解体され、国家による中央集権体制が強化されていく過程に置いて大阪市が置かれ、江戸時代からの住民共同体自治は大きく後退して行き、現在では道路を含めれば大阪市域の三分の一が大阪市有地であると言われますが、元々は大阪市有地などは無く、町共同体の共有地を大阪市に移管して行った結果でも有る様ですが、その過程などもどの様な内容だったんでしょうか。

 翻って現在の大阪市民にとって大阪市と言う行政体が本当に必要なのか、改めて考えてみたいと思いますが・・・。

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展示場は撮影禁止なので写真はここまで。f:id:jotoyumekoi:20210302010215j:plain

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