ブラタモリで両側町『ISまちライブラリーは両側町』

 先日NHK総合の「ブラタモリ」で、6月10日放送の「大阪・梅田」編の前番組として2016年11月5日に放送された「大阪~大阪はなぜ日本一の商都に?~」が6月8日に再放送され、内容はハルカス60階展望階から始まりますが、大半は大坂城西側の町割りに始まる秀吉の街づくりで、京都と同じ道を挟んだ両側町なんですが京都はほぼ菱形の町割りで東西南北の道を挟んだ両側町で、大坂は東西の通りを挟さみ南北の町割りの境に背割り下水を設けて長方形の町割りに成ってます。

 番組ではISまちライブラリーの在る内平野町と船越町の境界と、南の内平野町と内淡路町の境界の住居表示を映してましたが、内平野町と船越町の境界はISまちライブラリーの入居するアイエスビルの北隣のビルでその北隣からは船越町、で ISまちライブラリーの内平野町は、アイエスビルの南に面した東西に連なる通り内平野町通を挟んだ両側町で、東は谷町筋、西は東横堀川までの内平野町通を挟んで両側が現在の住居表示でも内平野町と表示されてます。

 私は、2016年11月5日の「大阪~大阪はなぜ日本一の商都に?~」は残念ながら見そびれていて、ほぼ半日「ブラタモリ」一行がこの辺りをうろうろしていた様で、当時のISまちラブリースタッフ間でも話題に成ってて、再放送してくれたHNKには感謝感謝です。

 

内平野町と船越町の境界。
恐らく背割下水が設えられてたんだと思います。

ISまちライブラリー前の旧熊野街道暗越奈良街道とも住吉大社のへの御祓筋とも言い、前方の横断歩道が内平野通。
私は「大塩の乱」の折、ここ熊野街道を挟んでこの辺りで大塩方と大坂奉行所鉄砲隊の銃撃戦が起こったと推定しています。