『大阪府・津波 高潮ステーション』見学会

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 城北川実行委員会のフィールドワークとして大阪府・津波 高潮ステーション見学会です。

 7月7日「七夕」ですが、朝から雨模様です。

 私の天気予感では、昼過ぎ小雨から雨上がりと出ていましたので、雨具の準備も十分ではなく、スニーカーの中もビショビショに成りましたが、3月 早春の小雪が舞う中、津波に襲われるよりは、遙かにましだとは思います。

 

 

 

 

雨に濡れる「新なにわ筋」。高架は阪神高速3号神戸線です。f:id:jotoyumekoi:20220312203810j:plain         

 車では近くを良く通りますが、「3.11」が無ければそれほど気に成らない、小さく目立たない施設・建物です。

津波・高潮ステーション。f:id:jotoyumekoi:20220312203826j:plain

正式には、「大阪府西大阪治水事務所・津波高潮ステーション」と云う様です。f:id:jotoyumekoi:20220312203818j:plain

前庭の「西大阪の治水事業について」の案内板。f:id:jotoyumekoi:20220312203845j:plain

 根元に、「淀川維持区域標」の石碑と説明版が有りますが、他にも「共同荷揚場」などの石碑が寝かされ展示されています。

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受付。七夕の笹短冊が飾られて居ました。f:id:jotoyumekoi:20220312203910j:plain

「3.11」関係の新聞展示。f:id:jotoyumekoi:20220312203854j:plain

 「3.11」以降、見学者が挽きも切らない大盛況で、この日も平日にも拘らず、私たちを含めて数組の団体見学があり、奥の方の団体もどこかの女性団体の様です。

私たちのメンバーも揃いましたので、ガイダンスルームで映像での研修を受けます。f:id:jotoyumekoi:20220312203918j:plain

研修の映像。ジェーン台風での被害の様です。f:id:jotoyumekoi:20220312203925j:plain

 

「海より低いまち大阪」


大正区のイメージ。手前床面が海面だそうです。f:id:jotoyumekoi:20220312204100j:plain

 

「災害を乗りこえ着実な高潮対策」


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「歴史の教訓を未来に活かす」


『擁護璽』

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              『擁護璽』(要約)
 嘉永7年(安政元年・1854年)の6月14日に激しい地震があった。そして、11月4日と5日にも大きな地震が発生した。5日の地震では津波が発生して川筋に流れ込み、多くの船が流されてあちこちに当たって橋が八つも崩れ落ちるとともに船も大きく破損した。
 地震津波で家が潰れたり、土蔵が傾いたりしたものも多かったが、人々は神社の広庭に避難したため、怪我をしたり死んだりした人がなかったのは大変な幸いである。
 他所の入江や川筋では小舟に乗って避難した人がいたため、命を落とした人が数知れないということである。
 どんなことがあっても、地震が強い時には船に乗って川筋に避難してはならない。
 昔にあった宝永地震でも地震が強く、津波が発生した。その時にも、船で避難して命を失うものが多かったと聞いている。
 この例からも明らかなように、地震が強いときは、津波があることを知るべきである。
 堺の人々が無事であったのは有り難いことなので、産土神の神明宮、三村宮、天満宮にその喜びの幣を捧げ、後の世も災いが無いことを祈って賜った璽(おしで)をここに祭る。

 

堺市の大浜公園内にある「擁護璽」(ようごじ)には、以上の様に記されています。f:id:jotoyumekoi:20220312204020j:plain

『大地震両川口津波記石碑』

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        『大地震両川口津波記石碑』碑文(要約)
 嘉永7年(安政元年・1854年)に発生した大きな地震の際、地震が発生しても水の上なら安全と小舟に乗って避難した多くの人たちが、押し寄せてきた津波によって犠牲となった。
 148年前に発生した宝永地震でも、小舟に乗って避難したため、津波で水死した人も多かったと聞いている。しかし、長い年月が過ぎ、これを伝え聞く人がほとんどいなかったことから、その時の教訓を活かすことが出来なかった。
 今後も地震が起きると津波が起こることを十分に心得ておき、船での避難は絶対にしないこと。
 また、建物が壊れ火事になることもあるので「火の用心」に心掛けること。
 海辺や大きな川のそばに住む人は気を付けること。
 津波の勢いは、普通の高潮とは違うということを、今回被災した人々はよくわかっているが、十分に心得ておきなさい。
 犠牲になられた方々のご冥福を祈り、つたない文章ではあるがここに記録しておくので、心ある人は時々碑文が読みやすいよう墨を入れ、伝えていってほしい。

 

大正橋の東詰(京セラドームのすぐ近くです)に建碑されている「大地震両川口津浪記石碑」。f:id:jotoyumekoi:20220312204028j:plain

 

「ダイナキューブ ー津波災害体感シアター」


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この様な映像が、床面も含め4画面から流れます。残念がら3Dでは有りません。f:id:jotoyumekoi:20220312204003j:plain

 

津波災害から命を守る千恵」


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 以上で、見学会は終了。アンケートに記入後散会と成りますが、大阪では津波に付いての認識などは余りなく、当施設も東海、東南海、南海地震の災害啓発が目的といっても、よく津波をコンセプトに入れていたと感心します。

 しかしながら、大阪の津波対策はお寒いばかりで6mクラスですと水門、防潮扉はほとんど持たないだろうと言われています。

 頼みの淀川大堰も、直下型地震対策はそこそこ施されていますが、津波となると如何なのでしょうか。

 その様な大阪でも、「擁護璽」「大地震両川口津波記石碑」などの存在は、過去の教訓を活かし後世に伝えて行くことの先人の教えで在り、「大地震両川口津波記石碑」では150年たった現在でも、その精神を受け継ぎ「記念碑保存運営委員会」の手により、地蔵盆に合わせて石碑を洗い、碑文通りに刻まれた文字に墨を入れるのが年中行事となっているそうです。

 私たちも、東日本大震災阪神・淡路大震災の経験、教訓を長く後世に語り継がなければと思います。

津波などの災害の仕組みを知る展示と、参考図書などが置いて在ります。f:id:jotoyumekoi:20220312204044j:plain

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