「擁翠園」から南に向かわなければ行け無いのになぜか西に向かって掘川通(鞍馬街道)沿いの「御花園天皇火葬塚」。
第102代天皇「御花園天皇」は、8親等以上離れた先代天皇「称光天皇」が嗣子を残さず崩御した為、両統迭立を反故にされていた南朝系が色めき出した為それを抑える目的で践祚した天皇で、本来皇統を継ぐ位置にはいなかった皇族ですが、歌集「後花園院御製」を残すなど詩歌管弦に堪能で、学問にも秀でた「中興の英主」とも言われます。
在位期間が応仁の乱など京都が荒れ果てていた時期で、非常に困窮した天皇であるとも言われていて、天皇家の菩提寺「泉涌寺」が戦乱の為焼失中で、この地が天皇家の火葬地「悲田院(泉涌寺塔中)」とされこの地で火葬されたそうです。
御花園天皇火葬塚。
「御花園天皇火葬塚」は烏丸通の西、堀川通沿いになりますので予定よりかなり西に来ていますが、この辺りで気付けば、予定コースに簡単に戻れた様です。
宮内庁設置の駒札。