大坂夏の陣400年祭プレイベント・道明寺合戦 古戦場巡り『薄田隼人正兼相の墓』

 古戦場巡りの途中で、大坂夏の陣・道明寺合戦で奮戦、後藤又兵衛共々討ち死にした「薄田隼人正兼相の墓」にお詣り。

 薄田隼人のお墓は、大阪市天王寺区の増福寺にも存在しますが、このお墓は明治の初め薄田隼人の子孫・薄田兼郎という方が古戦場を精査し、この地を隼人の戦死した場所と断定して墓を建立したそうで、現在の墓地は「1885年薄田隼人の子孫に当たる広島藩主浅野家一族によって建立され、1997年羽曳野市に寄贈された」と解説版にあり、お墓と言うよりは供養墓と言えます。

 薄田隼人と言うと、大坂冬の陣のおり博労ヶ渕の砦を任され幾度か徳川勢を打ち負かしますが、酒好きが嵩じて新町の遊里にて遊女と戯れ寝過ぎて博労ヶ渕の砦を奪われ見掛け倒しの「橙武者」と揶揄された故事が良く知られてますが、諸国を武者修行して狒狒退治あるいは大蛇退治などで勇名を轟かせた岩見重太郎その人との説もあり、武勇無双の豪傑だった様です。

 

薄田隼人正兼相のお墓に向かいます。f:id:jotoyumekoi:20211112210003j:plain

こんな感じで畑のど真ん中。f:id:jotoyumekoi:20211112210015j:plain

左の柵の内側が薄田隼人のお墓。f:id:jotoyumekoi:20211112210025j:plain

薄田隼人正兼相のお墓です。f:id:jotoyumekoi:20211112210037j:plain

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羽曳野市が設置した説明版。f:id:jotoyumekoi:20211112210049j:plain

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従一位勲一等侯爵浅野長勲閣下」と刻まれています。f:id:jotoyumekoi:20211112210122j:plain