羽曳野市「NPO法人 フィールドミュージアムトーク史遊会」古代史教室見学会の後半、大阪大学構内で昼食後阪急電車宝塚線で石橋駅から岡町駅まで移動、かっては桜塚三十六墳と云われた豊中市の桜塚古墳群を巡ります。
岡町駅→大石塚古墳・小石塚古墳→原田神社→瑞輪寺→大塚古墳・御獅子塚古墳→南天平塚古墳→東光院→原田城跡・旧羽室家住宅→曽根遺跡→曽根駅
参加者の大半が羽曳野市周辺の方で、巨大古墳群の中に街の点在する古市古墳群と違い、盛り土程度の古墳が街中に点在する桜塚古墳群では随分勝手が違ったと思いますが、1960年代の千里団地や1970年の大阪万博以降随分開発の進んだ北摂地域、大阪の南北問題とでも言えます。
大阪大学総合学術博物館見学後、阪急岡町駅まで移動。
岡町駅のすぐ西。
小石塚古墳。
大石塚古墳を背に解説を聞きます。
しかし三分の一位の方が阪大から帰られたようです。
阪急宝塚線を越え岡町商店街を抜けて東に向かいます。
大塚古墳。
全国に大塚と云われる古墳は多数存在します。
大塚古墳。
階段が付けられ登頂できます。
大塚古墳は盗掘によりほとんどの埋葬品は流失して居ましたが、それでもかなりの副葬品が発掘され、その中の「方格規矩獣文鏡」記念碑。
大塚古墳周辺は豊中大塚公園として整美されています。
道を挟んで南に御獅子塚古墳・
こちらは表面が復元され、右が葺石、左は盛り土とされています。
大塚山古墳墳丘頂上から御獅子塚古墳。
左後方には、狐塚古墳、北天平塚古墳が存在しましたが今は消滅しています。
御獅子塚古墳前方部分。
古墳はこれで最後、南天平塚古墳。
全体の四分の三が削られ、説明版が無いと古墳には見えません。
桜塚三十六墳と云われた桜塚古墳群も、現在は5基を残すだけです。