『鞆呂岐神社』再訪

 寝屋川市木屋の「鞆呂岐神社」再訪。

 「鞆呂岐神社」へは、2012年4月と2016年1月に参拝してるので3度目に成りますが、2012年の時は雨の中一之鳥居をくぐった処で拝殿を仰ぎ見ただけ、2016年の時は19時少し前辺り1月の事ですでに夕闇が境内を覆っていましたが、新年2日の事で参拝者もチラホラ来られてて淡い灯篭に導かれてお詣り。

 と言う事で、ゆっくりお詣りしたのは今回が初めて感が有り結構新鮮でした。

 社伝によると創建は淳和天皇の 861年(貞観3年)、淀川河川流域の平野が広がっていたこの地に堤が何か所か築かれ耕作可能地が広がり人々の営みが豊かに成り地元有志の神社建立の勧請により「水無瀬神宮」より社殿を戴いたと云う事でご神紋には16花弁菊花紋が用いられています。

 現在の御祭神は「天照皇大神」「豊受大神」「住吉大神」「息長足姫神」「春日大神天児屋根命)」「蛭子大神」の六社大明神ですが、境内には「史跡・茨田蛇の池跡」と記された碑が有り、「茨田連衫子」の人身御供の故事も伝わる淀川とは縁の深い神社でも有ります。

 

割とモダンなデザインの「竜吐水」だと思います。

摂社の稲荷神社。

寝屋川市の保存樹です。

「史跡・茨田蛇の池跡」碑。

境内の「鉢かづき姫」。
掲げているのは、赤穂浪士の1人「村松喜兵衛秀直」4代目子孫が寄進された「寄進の鳥居」の案内板。

世界文化遺産『宇治上神社』

宇治神社」で4羽の兎を探し終えた処で「宇治上神社」へ向かいます。

 「宇治上神社」は1994年にユネスコ世界遺産「古都京都の文化財」の構成資産の1つとして17カ所の社寺と共に登録されています。

  御祭神は、「菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)」「応神天皇」「仁徳天皇」の三柱をお祀り。

 「宇治神社」とは二社一体の存在とされ、応神天皇離宮がこの地に有った事から合わせて正式には「宇治離宮明神」と呼ばれ、平等院が1052年に創建されるとその鎮守社とされます。 現存する日本最古の神社建築で有る流造の覆屋根本殿内には、正面一間社流造の内殿3社が並立されています。

 大吉山の斜面に創建された境内はあまり広くは無くて短時間で拝観出来ますが、平安時代初期に造営された日本最古の神社建築を堪能できます。

 しかし12月30日の参詣ですが、外人観光客の多い事には少し驚かされ多分団体で来られてるんだと思いますが、意外と良く知られてるんだと感心してます。

 

正門。

正門をくぐった所で授与所。

拝殿。

花車の生け花を制作中。

此方は完成してます。

拝殿左の「清め砂」。

宇治七名水の一つに数えられていた「桐源水」。

宇治上神社」は、全域が京都府重要文化財

本殿の東側に摂社「春日神社」。

摂社「春日神社」。

末社

末社

稲荷社。

国の重文・本殿。

拝殿右の「清め砂」。

花車も完成した様です。

「早蕨の道」に出ます。

京都歳末十二支パワースポット巡り・癸卯『宇治神社』

 毎年行ってる「京都十二支パワースポット巡り」今年2023年は宇治市の「みかえり兎」で有名な「宇治神社」

 京都市で兎神社と言うと岡崎神社ですが、12年前の「癸卯」に2回お詣りしてるので宇治市では有りますが「癸卯」のお詣り。

 御祭神は「菟道稚郎子命(うじの わきいらつこの みこと)」第十五代・応神天皇の皇子、文教の始祖として「学業成就」「受験試験合格」の神様とされます。

 応神天皇菟道稚郎子皇子を皇嗣と定められて居ましたが、典籍に通じた皇子は長子相続を望み、兄の大鶴鷯皇子(仁徳天皇)との応神天皇崩御皇位継承が三年間の譲り合いと成り皇位継承を早めるため自害した悲劇の皇子でも有ります。

 その菟道稚郎子皇子が、河内の国から菟道(宇治)へ向かう道中で道に迷った時一羽の兎が現れ、振り返りながら命を先導したという古伝が「兎(みかえり兎)」と「宇治神社」との関わりで、その兎は神の使いとされています。

 コロナ禍の筋力の衰えと、以前からの膝や腰の痛みが重なり今年も一昨年昨年同様12月30日の「京都十二支パワースポット巡り」に成りましたが、縁起物でも有るし来年の辰年は参拝先も今年と違って寺院ですが決めて有るので、1月か2月中にはお参りしたいとは思っています。

 

宇治川

宇治神社

参道途中の手水舎。

最初の兎。

拝殿(桐原殿)。

中門前の鳥居。

中門。
奥に国の重要文化財の本殿。

本殿正面の兎。

みかえり兎。

本殿正面左の兎。

本殿右の兎。

後方が本殿。
国の重要文化財

兎の提灯。

末社群。

末社群。

パワースポット。

4羽目の兎。

兎の絵馬が収められてる絵馬殿。

兎の絵馬。

参集殿。

兎みくじ。

拝殿から本殿。

宇治上神社に向かいます。

11月4日は少彦名神社『寅の日』

 干支を軸に12日ごとに巡ってくる吉日、「神農さんの虎」道修町「少彦名神社」では開運興昌・金運招来日、開運日限定の「強運虎守」が授与されるので賑わってました。

 其れとそうです今日は「決戦の日」です。

 ベンチの中にも「張子の虎」が置かれてますね。

 

鵲森宮・狛犬台座に残る『機銃掃射の痕跡』

 クリエティブライブラリー・フィールドワークの帰りに「鵲森宮(森之宮神社)」へ廻って来たもう一つの目的は、鵲森宮・狛犬台座に残る太平洋戦争終盤・大阪空襲の折の米軍戦闘機による「機銃掃射の痕跡」の確認です。

 少し前8月の半ば、近くの「まちライブラリー@森ノ宮」のFBサポーターページに書いた記事で少し鵲森宮・狛犬台座の弾痕に触れたので見に来たのですが、以前と変わりは無い様です。

 

左、吽形の狛犬
台座「献」の字の右下、丸くセメントで補修され白っぽい処が機銃掃射の弾痕。

手前の昭和十三年建立の石柱にも弾痕。

右、阿行狛犬

右、阿行狛犬台座の弾痕。

鵲森宮(森之宮神社)

 クリエティブライブラリー・フィールドワーク「聖マリア大聖堂」から帰り道に成る「鵲森宮(森之宮神社)」へ。

 昨年の春に境内の拡張工事を行っていたので参拝傍ら見学。

玉造筋を南から向かうと、以前建物が建っていた辺りが更地に成ってて真新しい玉垣に囲まれた一角が見えて来ます。

 「令和四年七月境内改修工事」と記された碑文が建ってて、昨年7月に改修工事は完了した様で、狭まめだった境内が幾分広く成ってすっきりしてます。

 当神社の御祭神は、589年聖徳太子が物部合戦に勝利した折、聖徳太子が両親で有る「用明天皇」「穴穂部間人皇后」をお祀りしたのが創建とされ、その後聖徳太子は四天王を祀り現四天王寺の始まりでこの地を元四天王寺とも言い継がれて居ますが、現四天王寺関係者は否定的見解をお持ちの様で、いずれにしても非常に古い由緒が伝わる御宮さんです。

 

玉造筋を南から向かうと真新しい玉垣が見えて来ます。

拡張された境内。

拝殿。

右の鳥居の奥には奥宮。

摂社の「五幸稲荷社」。

亀井水。

左は大伴家持の歌碑。
「鵲之 渡瀬瑠橋迩 置久霜乃 白気乎見者 夜曽更仁来(かささぎの わたせるはしに おくしもの しろきをみれば よぞふけにける)」
小倉百人一首」に収められた歌です。

浪花百景「蓮如上人の松」。

神農さんで『せんば戎』

 今日は1月11日、道修町「少彦名神社」で「えべっさん」の残り福を授かります。

 なんで神農さんで「えべっさん」なん?と思われる方も多いと思いますが、世に「戎」又は「恵比寿」と称される神様は多々存在し、西宮神社の「蛭子神」と今宮戎神社の「事代主神」が代表的な神様でそれに「少彦名神」も加えても良いと思います。

 他には、京都ゑびす神社は「事代主神」と「少彦名神」もお祀りされています。

 いつもの「えべっさん」では、地元の今福皇大神宮事代主神)と八剱神社(蛭子神)にお詣りしますが、「えべっさん」でお詣りするのは初めてに成りますが、年に1月8日から11日まで御開帳される「黄金えびす」像に残り福を授かりたいと思います。

 

1月8日から11日まで御開帳される「黄金えびす」像。

樹齢190年の楠木。御神木です。

補陀洛山 普門院『六波羅蜜寺』

 2022年の「京都歳末十二支パワースポット巡り」最後のパワースポット「補陀洛山・六波羅蜜寺」

 創建年は不明なれど、空也上人自ら刻んだ十一面観音像を御本尊とし951年道場を開き、上人の祈願文により平安時代中期の963年に諸堂の落慶供養を営んだのが当寺の起こりで有るとされます。

 開基は村上天皇で、空也上人の開山、真義真言宗に属する「真言宗智山派」の寺院です。

 「踊り念仏」で知られる空也上人は、称名念仏を初めて実践し浄土宗系宗派の祖とも称されますが、空也上人自体は「市聖」に徹し教義らしきものも残さなかったので、宗派の祖としての空也上人は存在しません。

 空也上人が開山した「六波羅蜜寺」は、上人の死後比叡山の中信が入輿し天台別院と成りますが、周辺が平家一門の屋敷5200棟に囲まれたりした事やその後も幾たびか戦乱に遭遇し度々火災に会いますが、豊臣秀吉の時代に寺領70石を拝領、真言宗智積院の末寺と成りに真言宗智山派に改宗、その後は明治期の廃仏毀釈により寺域が大幅に縮小し現在に至っています。

 これにて2022年12月30日の朝8時前に家を出て、京阪・祇園四条駅から清水五条駅までのパワースポットを巡りましたが、坂を上るのや人込みを敬遠したので清水寺や光台寺なんかはパスしてますが、可成りの寅年の御利益が頂けたと思います。

 但し寅年年内はあと1日だけですが。

 

六道の辻・西福寺の角を南に行くとすぐに見えて来ます。

国宝の「十一面観音立像」が祀られてる本堂。
1969年の解体修理の際には泥塔約8000基が出土してます。

本堂の扁額。

迎鐘。地下の大釣鐘です。

右から「阿古塚」「平清盛公塚」「浄心苑」。

右から「阿古塚」「平清盛公塚」。

浄心苑。
右のお地蔵さん?は境内で発見された石仏群です。

令和館(宝物館)入口。

令和館前庭。

福寿弁財天堂。京都「都七福神」内の一神。

福寿弁財天。

十一面観音菩薩立像。

「なで牛」が居ます。

六波羅探題碑。

感染予防のため手水に水は溜められてません。
左のカエルは「無事かえる」。