「森之宮遺跡展示室」一般公開の帰り、知る人ぞ知る由緒正しき古社「森之宮」に立ち寄ることにします。
森之宮は正式な社名を「鵲森宮」と云い、589年7月、聖徳太子が物部守屋との戦いに勝利、先ず父母の用明天皇と穴穂部間人皇后を神として祀り。その後、太子は四天王像を造り、この地「鵲森」に元四天王寺を創建したと伝えられ、この地が四天王寺の起こりとされます。
森之宮ピロティーホール西側の、大阪市史跡連絡遊歩道の「つたい石」です。
正式名称「鵲森宮(かささぎのもりのみや)」。
難波の吉士磐金(鉄鋼業の祖)と云う人が、新羅国より持ち帰った「鵲(俗に朝鮮烏)」二羽をこの森で飼ったことからが謂れとされます。伝・日本書紀。
森之宮。
謂れ書き駒札は無く、御祭神のみ銅版に記されていました。
「大伴家持」の歌碑。
「鵲之 渡瀬瑠橋迩 置久霜乃 白気乎見者 夜曽更仁来」
(かささぎの わたせるはしに おくしもの しろきをみれば よぞふけにける)
「小倉百人一首」に収められた歌です。
拝殿。
手水鉢。奥に社務所などが有ります。
摂社の「五幸稲荷神社」。
大阪市中央区に鎮座する、由緒正しき古社らしく有名企業の石杭が立っています。
こちらは「ミヨシ油脂(株)大阪支店」。
説明の必要もない「森下仁丹株式会社」。
京都のまち歩きでは、町名表示板のお世話に成ります。
「株式会社 サクラクレパス」。