前日11月20日に大阪で開催された、対馬市に事務局を置く「NPO法人朝鮮通信使縁地連絡協議会」役員会・研究部会発表の翌日、フィールドワークまち歩きの依頼を「朝鮮通信使川御座船を考える会」が受けて、朝鮮通信使が辿った大阪のまちを全国から来られた前日参加者と供に歩きます。
歩くコースは、木津川・尻無川(唐人澪)を巡る一番良く知られてるコースだと思います。
「NPO法人朝鮮通信使縁地連絡協議会」とは1995年11月事務局を置く対馬市で発足、自治体19団体、民間団体75団体、個人会員105名 を数える全国組織で、昨年は新型コロナ禍で中止に成りましたが、ほぼ毎年何処かの縁地で役員会・研究部会発表などが行われています。
集合地点のJR大正駅出発。
「岩崎運河橋梁」が見てきました。
大正区三軒家西「岩崎橋公園」で「御船蔵跡」の解説を大阪歴博館長・大澤さんからお聞きしてます。
木津勘助が開発した地で、埋め立て以前は「勘助島」と呼ばれていました。
尻無川沿いを東に。
尻無川と「岩崎運河橋梁」。
木津川沿いを北に。
左はスーパービバホーム大阪ドームシティ店。
環状線が通る「木津川橋梁」。
大阪市電創業の地。
1903年9月ここ花園橋西詰から築港埠頭まで約5kmに運行された。
松島公園で大阪歴博館長・大澤さんの解説。
この辺りに通信使船の船溜まりが有ったのはないかと云う事です。
竹林寺。
通信使随員・金漢重のお墓が有ります。
金漢重のお墓にお詣り。
住職報恩講などで多忙のため大阪歴博館長・大澤さんの解説。
梅本橋・顕彰碑。
1870年 川口居留地と松島を結ぶ為、尻無川に架けられた橋。
松島公園で大阪歴博館長・大澤さんの解説。
九条島と朝鮮通信使の碑。
「尻無川跡」碑。
右のマンション辺りが、大阪冬の陣で薄田隼人が守ってた「博労ヶ渕砦」が存在した辺りと推定されてます。
日本基督教団 川口教会。
ちょうど礼拝中で教会の方が裏に案内してくれました。
大阪船手会所跡碑。
大澤館長のお話をお聞きした後解散。