大阪あそ歩「なにわの日・特別まち歩き」終了後、ガイドさんのご厚意でオプションツァーに出ます。
コースとしては、
毘沙門天・大乗坊~高島屋別館・髙島屋資料館~羽呉神社(履物神社)
という事で、今回の「打ち水コース」に、本来の「大阪あそ歩・日本橋」コースを補足した事に成る様です。
かつては四天王寺東北方牛崎(筆ヶ崎)に在りましたが、元亀・天正年間の織田信長・石山合戦の焼き討ちで、現在の地に逃れ再興されました。
本尊の毘沙門天王立像は、日本の四大毘沙門天王像の一つとされ「長町(日本橋)の毘沙門さん」と親しまれています。
正式には、崑崙山「寶満寺・大乗坊」。
こんな感じてす。言われないと気が付かず通り過ぎそうです。
高島屋別館に向かいます。
現在は結婚式場として使用されています。
元々は松坂屋大阪店として、15年の歳月をかけ昭和12年に現在の形に成りました。
拡張工事なども計画されていた様ですが、その後の戦時体制などで思う様に成らず、堺筋自体が御堂筋などに比べると戦後それ程の発展も無く、昭和41年には松坂屋自体も天満橋に移転、現在に至ります。
松坂屋時代も、日本橋界隈には商業的な価値も含め、余り似つかわしい建築物とは正直言えない様ですが、北堀江、北船場辺りにでも有れば商業的な価値観なども含めた、行政サイドの景観保存も必要な建築物でしょう。
建物自体は、大理石などの建材をはじめ、当時の建築関係者の気迫を感じる建築物です。
次の世代に残して置きたい歴史的遺産の一つです。
資料館入口付近の回廊。
床のモザイク、天井など、アールデコ調のアートバランスが見事です。
堺筋に戻ります。お昼過ぎでお店も開店が揃い、人出が出て来ました。
同じく「紀州街道道標」。
高島屋資料館北側から東に、通称「はきはきタウン」。履物問屋街に出ます。
ミニチュアの「こっぽり」下駄です。
このお店はスリッパなど、上履きの専門問屋さん。
「大阪履物卸連合協同組合」事務所。
「はきはきタウン」の通りを「御蔵跡町本通り」と呼ぶそうです。
羽呉神社・はきもの神社
大江神社が戦災を受け、末社であった羽呉神社再建を条件に、この土地を履物協同組合に売却、その地に大阪履物会館を建設、南隣に羽呉神社を再建しました。
という事の様ですが、元は御蔵跡町と地名に残って居ます、宝暦年間の米蔵「天王寺御蔵」の鎮守神だった様です。
それにしても「はきもの神」と合祀と有りますが、「履き物の神」さんとはどの様な神さまでしょうか。
御社。祭神はお稲荷さん「稲荷大神」の様です。
天王寺御蔵跡の公園。大きな石は御蔵の礎石と推定されています。
「羽呉神社・はきもの神社」前から南に歩いていますと、正面に通天閣が見えて来ました。
アンテーク?な電気製品や、阪神タイガースグッズがディスプレイされています
急に広い道路に出ましたが、松屋町筋から堺筋までだけが開通した都市計画道路です。
真ん中辺りに日本橋来客用の自転車置き場に出来ないか、日本橋の各商業組合を通じて、行政と話し合い中だそうです。
私はこの後ガイドさんと会食後、打ち水ツァー時はシャッターの降りていた日本橋総合案内所の日本橋の生き字引の様な案内人さんのお話を伺い、新世界のイベントに参加されるガイドさんと別れましたが、どちらかと云えば私はヒストリアンでして、切っ掛けが無ければ、たぶん参加しなかったコースですが、おもちゃ箱をひっくり返したような浪速区の奥の深さに、少し驚きと感動を感じて居ります。
季節の良く成った秋、または春にでも、もう少しガイドさんや生き字引の案内人さんのお話をジックリ聞いて見る事にします。
正面が日本橋で、この辺りでオプションツァーは終了解散です。