2018-01-01から1年間の記事一覧

大阪歴史博物館・2018年度 金曜歴史講座 第174回『梅田墓を掘る』

以前は有料(資料代200円)、年何シーズンかに分けて開講されていた大阪歴博の金曜歴史講座も今年から無料、1シーズンにまとめて開講され、その3回目通算 第174回「梅田墓を掘る」。 江戸時代30万~40万人の人口を抱えていた大坂の町は死者の埋葬も大問題で、…

大阪市中央公会堂

ライトアップされた、今年が誕生100周年を迎える中之島の大阪市中央公会堂。

天満屋ビル『HA.HA.HA.』でオムハヤシ

お昼過ぎから大阪港天保山を歩き回って1万歩超えたところ、以前から来て見たかった天満屋ビル「HA.HA.HA.」でオムハヤシ。 1935年竣工レトロビ2階のオリジナル雑貨なども扱うカフェレストラン、お店は10年以上の歴史がある様ですが人気メニューのハヤシライ…

福澤諭吉誕生地

堂島リバーフォーラムまで来たのでとなりのABCホール南東角1万円札の「福澤諭吉誕生地」。 当地 中津藩蔵屋敷で生れ緒方洪庵の適塾に学び、慶応義塾の創始者と成った「福沢諭吉」です。 玉江橋から堂島川。左の港が「福島(ほたるまち)港」、その後ろがABCホ…

写真家沢田教一展 -その視線の先に

各地の高島屋で開催されてきた「写真家沢田教一展 ーその視線の先に」、この日で最後に成ります。 戦場カメラマンに憧れファインダーを覗きながらニコンの空シャッターを切ってた10代の頃を思い出し来て見ましたが、最終日で17時終了なんだそうで40分位しか…

堂島川

川面にそよぐ夜風が漸く秋の気配を運んでくれてる堂島川。 中之島中央公会堂の帰り難波橋から堂島川、右手の阪神高速と正面遠く鉾流橋のライティングが川面に映えています。

熊野かいどう・碑

京阪シティーモールを出て土佐堀通り沿いを西に熊野かいどう碑。 土佐堀通りを挟み正面に「川の駅はちけんや」。

天満屋ビル・ハaハaハa & VORTICO jewelry&crafts

商船三井築港ビルの隣「天満屋ビル・ハaハaハa & VORTICO jewelry&crafts」。 かなり手直しされた商船三井築港ビルよりカドマルでレトロ感あふれる此方のビルの方が好きな方は多い様で、私もこちらの方が気に入ってます。 竣工が1935年で商船三井築港ビルよ…

商船三井築港ビル・築港麺工房

大阪メトロ・大阪港駅から海岸通を大阪港中央突堤の護衛艦「むらさめ」見学会へ向かう途中「商船三井築港ビル・築港麺工房」。 1903年大阪港築港大桟橋が完成、九条の花園橋まで道路が整備され大阪市で初の市電が開通したのがこの辺り、往時をしのばせる近代…

菱垣廻船 浪華丸

菱垣廻船「浪華丸」の10分の1 模型が大阪メトロ・大阪港駅に展示されてました。 平成28年3月に(一般社法) 港まちづくり協議会大阪が3分の1模型と一緒にプロポーザル落札して、昨年10月に来た時には見なかった様に思いますが、大阪港開港150年記念パネルが添…

都島内代第2郵政宿舎

都島区内代の「郵政宿舎」、一般的に言うと官舎・社宅と云う事ですが、この大きさ(2DK?)ですと月の家賃が5000円強と云ったところだった様ですが、何年かこのままでどうするんですかね。 昭和の香り漂ういい雰囲気の長屋です。 NTT関連のメンテナンス会社が管…

大坂東町奉行所址

先日、初代大坂東町奉行・久貝正俊の菩提寺「正俊寺・久貝因幡守之墓所」を書きましたが、ならば大阪東町奉行所は何処にあったんでしょうか。 大坂町奉行は、江戸幕府が江戸以外の幕府直轄領中重要な場所に置かれた行政職「遠国奉行」の一役で首座は長崎奉行…

OXYMORON

昨年の10月北浜に開店した、カリーと甘いものと雑貨のお店「オクシモロン」。 2008年鶴岡八幡宮の鎌倉市雪ノ下で創業、2店舗目が鎌倉御用邸の有った鎌倉市御成町、少し間が開き3店舗目がセレブの集まる東急田園調布線の二子玉川駅 通称「ニコタマ」、4店舗目…

光世証券

北浜の独立系証券会社「光世証券」本社ビル。 新興企業向け市場のナスダック・ジャパンやヘラクレスなどの設立に尽力し、北浜の風雲児と言われた (株)大阪証券取引所初代社長 巽 悟朗 さんが一代で築き上げた証券会社。 本社ビルは2001年竣工、正面 後面 両…

長尾山菩提院 正俊寺『久貝因幡守之墓所』

初代大坂東町奉行・久貝正俊の菩提寺「正俊寺」山門前の「久貝因幡守之墓所」。 枚方市長尾の正俊寺は、河内領主・久貝因幡守正世が父である初代大坂東町奉行・久貝正俊の菩提寺として建立した寺院なんで歴代 久貝因幡守家墓所が祀られていて、私も大阪人なんで…

長尾山 正俊寺『八体佛十二支守り本尊』

初代大坂東町奉行・久貝正俊の菩提寺「正俊寺」山門前の「八体佛十二支守り本尊」。 私の守り本尊は「普賢菩薩」梵名はサマンタ・バドラ 、釈迦如来の右脇侍で、普賢とは「全てにわたって賢い者」という意味で、白像に乗り、理知、功徳、教化、衆生を生死の苦…

長尾山 正俊寺・遊行苑『五百羅漢』

「長尾山 正俊寺」南正面参道西「遊行苑」に五百羅漢が多く集められた一角が有ります。 仏教では悟りを開いた高位の聖者で、仏陀に常に付き添った弟子を「羅漢」と呼び、仏陀入滅後 第1回の結集(仏典編集)に集まった五百人の羅漢を「五百羅漢」と言い、仏…

長尾山 正俊寺『涅槃像』

初代大坂東町奉行・久貝正俊の菩提寺、枚方市長尾の「正俊寺」。 霊苑の入り口に大きな「涅槃像」が祀られています。 境内には仏陀入滅後 最初の結集(仏典編集)に集まった五百羅漢像も祀られているので、それと対になるのかも知れません。 仏足石です。足下二…

長尾山 正俊寺『縁結びの神様』

「長尾山 正俊寺」紫陽花の「弔鐘の森」に「妙法蓮華教苑」と名付けられた一角が有り「縁結びの神様」が居られます。 鳥居の奥に伝い石が二列並んでいて、左男性 右女性 途中で飛ばさず飛び石伝いに手を繋ぎ正面奥の「縁結びの神様」の前まで歩きお参りしま…

長尾山 菩提院『正俊寺』

初代大坂東町奉行・久貝正俊の菩提寺「長尾山菩提院 正俊寺」。 広い境内に沢山の石仏が祀られ、文化財的には嘉歴二年(1327年)と刻まれ、鎌倉時代造立当初の姿を遺し大阪府有形文化財に指定されてる「十三重石塔」位ですが、紫陽花以外にも外連味たっぷり見所…

神戸・三宮

神戸阪急三宮駅前、以前来たのは何時頃だったでしょうか船屋形見学の帰り。 日曜日の夕暮れ時、夏至も近くて日はまだ高く月末も有ってか大変賑わってました。 阪神神戸大震災も歴史上の出来事に成りつつあるんですね。 いくたロード。生田筋とも言い生田神社…

旧ハッサム住宅

「船屋形」の見学後、この日は同じ相楽園内の国指定重要文化財「旧ハッサム住宅」も公開中でそちらに向かいます。 旧ハッサム住宅は、1902年中央区北野町の「ラインの館」北側にインド系イギリス人貿易商J.K.ハッサムの邸宅として建てられ、1961年当時所有者…

『船屋形内部公開』見学会

年2回春と秋に内部一般公開される神戸市中央区の都市公園「相楽園」内の国指定重要文化財「船屋形」見学会です。 元々は姫路藩で使用されていた川御座船で、運用したのは姫路藩の水軍「御船手組」、藩士200人で構成され18世紀中ごろには、海船53隻、川船23隻を…

神戸市『相楽園』

「相楽園」は、明治初期に神戸の再開発で財を成した小寺泰次郎氏の本邸19566㎡の敷地に営まれた池泉回遊式日本庭園を中心に構成された都市公園で、敷地内に点在した邸宅の方は昭和20年6月5日の神戸大空襲で一部を残し大半が焼失、残された大楠や蘇鉄林、大灯…

神戸中山手通・兵庫県公館

阪神元町駅から鯉川筋(メリケンロード)を北に、中山手通に出てから西に相楽園の船屋形見学会に向かう途中で「兵庫県公館」。 4代目の兵庫県本庁舎として1902年竣工、設計は明治末大阪市新設市街設計書(実現せず)なども立案した山口半六、亡くなった後に…

神戸中山手通・日本基督教団『神戸栄光教会』

阪神元町駅からトアロードに行こうとしましたが足が動かず一筋西の神戸ルミナリエの入場口にも成ってる鯉川筋(メリケンロード)を北に、こことトアロードとの間がトアウェストと呼ばれ最近では若者の街に成っていて新しいお店も沢山だそうですが足が動きま…

大和・今井の寺内町と建国伝承地の陵墓をめぐる『懿徳天皇陵』

史遊会の古代史教室見学会 「大和・今井の寺内町と建国伝承地の陵墓をめぐる」昼食後後半の建国伝承地の陵墓「懿徳天皇陵」です。 古代史教室見学会最後のスポット「第4代天皇 懿徳天皇陵」御陵名は畝傍山南繊沙渓上陵。 欠史八代の御一人に数えられ、第3代…

大和・今井の寺内町と建国伝承地の陵墓をめぐる『安寧天皇陵』

史遊会の古代史教室見学会 「大和・今井の寺内町と建国伝承地の陵墓をめぐる」昼食後後半の建国伝承地の陵墓「安寧天皇陵」です。 「第3代天皇 安寧天皇陵」御陵名は畝傍山西南御陰井上陵、後世所在地が不明になり元禄修陵でも別地に、幕末修陵に際して現陵…

大和・今井の寺内町と建国伝承地の陵墓をめぐる『スイセン塚古墳』

史遊会の古代史教室見学会 「大和・今井の寺内町と建国伝承地の陵墓をめぐる」昼食後後半「スイセン塚古墳」です。 「山本山 大師堂」から「スイセン塚古墳」、江戸時代「第二代綏靖天皇」陵に比定され、全長71m 後円部径46m高さ6m 前方部先端幅30m高さ3…

大和・今井の寺内町と建国伝承地の陵墓をめぐる『山本山 大師堂・惠泉寺』

史遊会の古代史教室見学会 「大和・今井の寺内町と建国伝承地の陵墓をめぐる」昼食後後半「山本山 大師堂」です。 神武天皇陵参道から脇道を西にそれ、畝傍山北麓の森を抜け「山本山 大師堂・惠泉寺」へ。 昔からここは「山本のお大師さん」と呼ばれ、村人が…