2012-01-01から1年間の記事一覧

渡邉邸を知ろう

地元でのフラワーロード調査会ミーティングを抜け出し、淀川区西三国での「渡邊邸を知ろう」です。 「大阪市淀川区西三国にある渡辺邸は、渡辺綱の子孫と伝える渡辺久良左衛門源忠綱(天正十年、1582年没)が構えた屋敷跡と伝えられ、もしそうなら大阪落城よ…

大阪城公園 帰り道

「森之宮遺跡展示室」一般公開の帰り、「森之宮」に立ち寄り噴水前から大阪城弓道場横に出て太陽の広場を横切り大阪社会運動顕彰塔を横目に木陰を求めて帰ります。 大阪城公園。噴水から大阪城天守閣。 木陰を求めて、大阪城公園内を北に帰る事にします。 大…

森之宮『鵲森宮(かささぎのもりのみや)』

「森之宮遺跡展示室」一般公開の帰り、知る人ぞ知る由緒正しき古社「森之宮」に立ち寄ることにします。 森之宮は正式な社名を「鵲森宮」と云い、589年7月、聖徳太子が物部守屋との戦いに勝利、先ず父母の用明天皇と穴穂部間人皇后を神として祀り。その後、太…

『森の宮遺跡展示室』一般公開

森ノ宮ピロティホール地下階の「森の宮遺跡展示室」一般公開に行ってきました。 森之宮は、現在の大阪市東部一帯に形成された古河内湖の西岸、大阪湾とを隔てる上町台地の北部、大阪城公園のすぐ南に位置します。 と云う事で非常に古い台地で、西日本を代表…

平成 OSAKA 天の川伝説 2012 in 大阪城

7日の七夕に大川で開催されていた「平成 OSAKA 天の川伝説」が、大阪城公園沿い第二寝屋川にやって来ると云う事で、見物です。 イベント当日の8月7日が「旧暦の七夕」になるそうで、来年以降も固定化される?予感!!。 大阪城新橋。紅白煙突が「森之宮ごみ…

重要文化財『毛馬閘門・洗堰群』

国交省淀川河川事務所毛馬出張所での石山・河川レンジャー企画講座「淀川大堰を知ろう!」の毛馬排水機場施設見学の後半。 2008年6月9日「淀川旧分流施設」の名称で、毛馬第一閘門(1907年) 毛馬第二閘門(1918年) 毛馬洗堰(1910年)淀川改修紀功碑(1909…

戎橋を渡り心斎橋へ出て宗右衛門町から御堂筋

所属社団法人の定例会に向かう途中、道頓堀川周辺を散策。 戎橋筋商店街。 戎橋。 戎橋から道頓堀川。 道頓堀川。河川敷遊歩道が整備されました。 心斎橋筋商店街。 宗右衛門町。 御堂筋。 ランキング参加中路上観察

大阪あそ歩 2012 夏『落語家とたどる住吉めぐり ~おもしろ怖い!すみよし奇譚~』

大阪あそ歩・夏編です。 サブタイトルに「住吉には不思議な話がいっぱい!」と有りまして、地元の産土神・生根神社、夏祭りでの落語会と、住吉大社周辺のミステリースポットを落語家笑福亭純瓶さんと巡ります。 南海電車・住吉大社駅から住吉大社。 正面鳥居…

我が母校の『二宮金次郎』像

数十年ぶり訪れた我が母校、健在でした。 ランキング参加中神社仏閣・古墳・歴史的建造物めぐり

『がもよん』蒲生四丁目

蒲生四丁目交差点を西に少し行った所、ロイヤルホスト蒲生店の角を左に蒲生三丁目と蒲生四丁目の境界を旧鯰江川堤防まで歩きます。 「ジャルディーノ蒲生」古民家の米蔵を利用したイタリアンの銘店。 「若宮八幡大神宮」の参道。 左に曲がると野崎街道(古堤…

愛染坂から口縄坂

大江神社から、愛染坂、松屋町筋に出て、植村文楽軒の墓と渋谷天外の墓を見て、口縄坂から谷町筋に戻り帰りました。 途中松屋町筋辺りから土砂降りで、口縄坂でこけるわでビショ濡れに成りましたが、何時も自動車で通り過ぎるだけでのところが、立ち寄れて良…

大江護国神社『山口藩殉難諸士招魂碑』

大江神社の摂末社「大江護国神社・山口藩殉難諸士招魂碑」。 1870年に山口藩(長州藩)によって建立され、「蛤御門の変」に殉じた48名の長州藩士(山口藩)の霊が祀られています。 所で、長州藩は1864年の「蛤御門の変」後、約250年間藩庁を置いた長門国 萩…

大江神社

愛染さんで社団法人のメンバーと別れ、「大江神社」から、愛染坂、松屋町筋に出て口縄坂から谷町筋に出ます。 「大江神社」は四天王寺の鎮守社である四天王寺七宮(上之宮 小儀 土塔 河堀 堀越 久保)の一社として聖徳太子によって創建、天王寺北村の産土神…

愛染まつり 2012

所属社団法人の「まちづくり講座」終了後「愛染まつり」に廻りました。 本来は講座終了後「愛染まつり」で写真撮影会の処、雨天のため希望者のみでの祭りの見学に成りました。 「愛染まつり」は大阪三大夏祭りのひとつ、大阪の夏祭りは 愛染さんに 始まって …

『道頓堀』散策

所属社団法人の講座修了自由解散となり、毎年団体恒例の愛染まつり見物に向う途中で道頓堀散策。 講座会場近く「七宝山・大福院 三津寺」。通称「ミナミのみってらさん」。 御本尊さんは「十一面観音菩薩」。 御堂筋側はこんな感じ。 道頓堀川「えびす橋」の…

花博記念公園 鶴見緑地『鶴見ノ森迎賓館』

花博記念公園 鶴見緑地の南東の一角に「鶴見ノ森迎賓館」。 大阪花博当時迎賓館として使われた建物で、2011年からは結婚式場に衣替えしていて迎賓館裏の建物は UNEP(国連環境計画)環境技術センターと公益財団法人・地球環境センターが使っています。 UNEP…

花博記念公園 鶴見緑地『風車の丘大花壇』

花博記念公園 鶴見緑地内には大阪花博当時のパビリオンがモニュメントとして残されていますが、この丘の上に建つ風車は、オランダから設計図をとりよせ建築されたもので、国際花と緑の博覧会が催される以前からここに建っています。 ランキング参加中神社仏…

初夏の京都・洛北パワースポット巡り『be-京都』

be-京都は町家を改装し、絵画・立体などあらゆるジャンルに適した貸しギャラリー・貸教室だそうです。 以前散策した「京町屋・葭屋町通」に在った、「京都リサーチパーク」と「今原町家文化悠楽の間」が、同じようなコンセプトの様です。 be-京都。 「小森文…

初夏の京都・洛北パワースポット巡り『仏日山・光照院門跡(旧常磐御所)』

「仏日山・光照院門跡」は、応仁の乱の後1477年後土御門天皇から持明院殿跡に寺地を賜わり創建、別名「常磐御所」(持明院仙洞御所跡)とも言われ、「持明院」は南北朝時の「持明院党」の元で、この辺りの南東に足利将軍家の御所「室町殿・花の御所」が存在し…

初夏の京都・洛北パワースポット巡り『龍華 具足山・妙顕寺』

「具足山・妙顕寺」創建は1321年、京都府京都市上京区にある日蓮宗の大本山、洛中における日蓮宗最初の寺院です。 山号は具足山、塔頭が九院ある(久本院、十乗院、泉妙院、法音院、恩命院、善行院、本妙院、實成院、教法院)大寺院ですが、迷走中の事で、今回…

初夏の京都・洛北パワースポット巡り『百々橋の礎石』

小川通と寺之内通が交わる辻に在ります「百々橋」礎石。 応仁の乱(1467年~1477年)の際、東軍(細川勝元)と西軍(山名宗全)の両軍が、橋を隔てて数度にわたり合戦を行い、歴史のひとこまが刻まれることになりました。 この石は歴史に名をとどめる「百々橋」礎…

初夏の京都・洛北パワースポット巡り『小川通りから寺之内通り』

「本法寺・仁王門」をくぐり小川通に出ます。 仁王門真向いに表千家「今日庵」。 裏千家「今日庵」。 小川通、茶道具のお店が並びます。 表千家「不審菴」。 小川通を寺之内通に回ります。 「百々橋」礎石。応仁の乱の戦場。 「百々橋」礎石の向い、寺之内通…

初夏の京都・洛北パワースポット巡り『本山 叡昌山・本法寺』

「御花園天皇火葬塚」から掘川通(鞍馬街道)を少し南に「叡昌山・本法寺」。 開創の時期や場所は不明なれど1436年に東洞院綾小路で造られた「弘通所」が始まりとされて、日蓮宗・京都十六本山(由緒寺院)の一山、「本阿弥光悦」作庭の枯山水庭園 「三つ巴…

初夏の京都・洛北パワースポット巡り『御花園天皇火葬塚』

「擁翠園」から南に向かわなければ行け無いのになぜか西に向かって掘川通(鞍馬街道)沿いの「御花園天皇火葬塚」。 第102代天皇「御花園天皇」は、8親等以上離れた先代天皇「称光天皇」が嗣子を残さず崩御した為、両統迭立を反故にされていた南朝系が色めき…

初夏の京都・洛北パワースポット巡り『擁翠園』

御霊神社楼門前から西に、「猿田彦神社」から烏丸通を越えて衣棚通の「擁翠園」。 「擁翠園」は、室町幕府第三代将軍足利義満の管領細川満元が応永年間に金閣寺造営の余材で造営した邸宅が始まりで、1426年細川満元が没すると寺院に改められ「岩栖院」と称し…

初夏の京都・洛北パワースポット巡り『猿田彦神社』

初夏の京都 ・洛北パワースポット巡り『鞍馬口通り』の続き、洛中パワースポット巡りと京都御苑 「春のトンボ池」です。 と云う事ですが、御霊神社から相国寺に向かうはずが、御霊神社を南に少し行った辺りで完全に迷ってしまい、南にいくはずが西に向かって…

初夏の京都 ・洛北パワースポット巡り『御霊神社(上御霊神社)』

当社は794年「崇道天皇」を祀ったのが始まりで、その後仁明、清和天皇時代をへて7柱が合祀され、863年悪疫退散の御霊会が勅命で催され、国家、皇居、都民守護の社として朝野の崇敬を集ました。 なお境内の‘御霊の森’は応仁の乱の発端となった地。5月…

初夏の京都・洛北パワースポット巡り『宝樹山 竹林院・西園寺』

西園寺家の祖とされている西園寺公経が、1224年北山の山荘(現在の鹿苑寺の辺り)に真言宗寺院として創建されたのが創始。 その後、室町通に引越しをして浄土宗に改宗、1554年に寺町鞍馬口の現在地に再度引っ越し、本尊は阿弥陀如来で浄土宗の寺院です。 寺…

初夏の京都 ・洛北パワースポット巡り『萬松山・天寧寺』

もと会津城下にあった当寺は、天正年間(1573~1592)に、現在地に移転されたと伝えられ。その後、天明の大火により堂宇を焼失したが、本堂は1812年に、書院は1842年に再建された曹洞宗の禅寺。 比叡山の眺望を一幅の絵のように見せる山門「…

初夏の京都・洛北パワースポット巡り『瑞芝山・閑臥庵』』

江戸時代前期には後水尾法皇の実弟である梶井常修院の宮の院邸と建てられ、貴船から鎮宅霊符神を歓請し、六代目黄檗山萬福寺管長・千呆禅師を招いて1671年に開山したのが当寺の起こりで、黄檗宗の禅寺「瑞芝山・閑臥庵」。 詣内には「後水尾上皇」お手植…