2013-01-01から1年間の記事一覧

KANSAIウオーク2013・大阪市内エリア『坂松山 一心寺』

産経新聞社主催「KANSAIウオーク2013・大阪市内エリア」で「一心寺」。 四天王寺から谷町筋を超えて西に、上町台地の崖線上にお骨仏の寺・浄土宗「坂松山高岳院 一心寺」。 一心寺仁王門。 一心寺からあべのハルカス。 一心寺。 一心寺墓苑から通天閣。 ラン…

KANSAIウオーク2013・大阪市内エリア『荒陵山 四天王寺』

産経新聞社主催「KANSAIウオーク2013・大阪市内エリア」で「四天王寺」。 今回の「KANSAIウオーク2013・大阪市内エリア」は、日本仏法発祥の官寺・和宗総本山「荒陵山 四天王寺」南大門集合、大阪城天守閣前まで上町台地を北上します。 翌日が7月7日七夕とい…

KANSAI ウオーク 2013『大阪市内エリア』

産経新聞社主催「KANSAI ウオーク 2013」です。 四天王寺中門前→高橋多一郎父子墓所→会津藩士墓所→新撰組屯所跡→島男也旧所跡・川崎孫四郎自刃の地→浪華仮病院跡→真田山陸軍墓地→玉造稲荷神社→城中焼亡埋骨墳→大阪城天守閣前広場、まで約8Kmのコースを歩きま…

『東横堀川水門』ライトアップ

CCA クリエイティブ・サロンの帰り、先日見学した「東横堀川水門」、ライトアップしてるんですね。 知らなかった。 ランキング参加中カメラ越しの世界 ランキング参加中路上観察

あべのハルカス

「愛染まつり」の後、「関まち」のメンバーが私を含めて4名と成った為、ハルカス見学後「あべちか」でミーティングを行う事にします。 私にとっては、毎日近鉄百貨店阿倍野橋店に通っていた「春の縁活」以来、初ハルカスに成ります。 7月1日発表の路線価では…

大江神社・夏越の祓い

ー 水無月の夏越の祓いする人は 千歳の命延ぶというなり ー という事で愛染さんから隣りの、大江神社・夏越大祓「茅の輪くぐり」に廻ります。 大江神社。 大江神社詣内、ここでも行列が出来てます。 大江神社の「茅の輪」。 浴衣姿の若い女性がくぐってます…

愛染まつり

天王寺区清水谷での「マイルドHOPEゾーン事業報告会&NEXT21見学会」終了後、愛染堂勝鬘院「愛染まつり」に向かいます。 昨年も「関西まちづくり協議会」のメンバーと見物、今年もうまく愛染堂勝鬘院詣内で合流出来ましたが、彼らは昼過ぎから来ていて宝恵か…

中西金属工業 (旧天満紡績)

うめきたナレッジキャピタルに向かう途中、中西金属工業の旧天満紡績・赤レンガに立ち寄って見ます。 1881年(明治14年)に建てられたというこの赤レンガ建築、設計は辰野金吾説が在りますが不明、天満紡績の工場として完成した後合併などで大阪合同紡績天満…

湊町リバーブレイス

大阪市の都市構造再編プロジェクト(大阪市街地開発株式会社)の中の「ルネッサなんば」のウォーターフロントゾーンとして、旧国鉄湊町駅(現 JR難波駅)の貨物ヤード跡地に開発された「湊町リバーブレイス」。 ライブハウスの「なんばHatch」を中核とした複…

旧名所・四ツ橋跡

江戸時代の大坂市中運河である堀川の「西横堀川」と「長堀川」がここで十字に交差し、架橋されていた4つの橋を一括して称した「四ツ橋」。 「上繋橋(北の橋)」「下繋橋(南の橋)」「炭屋橋(西の橋)」「吉野屋橋(東の橋)」以上の「四ツ橋」が架けられ…

淀川発見講座 『伏見・三栖閘門』

「淀川発見講座」終了後、何時もならそのまま帰りますが、6月初めの事で午後5時頃ですがまだまだ明るく、三栖閘門と三栖洗堰を見学する事にします。 三栖閘門は保存はされてますが、現在は可動しませんが再可動は可能だそうです。 大阪市毛馬閘門の様にこち…

淀川発見講座『三栖閘門資料館』

三栖閘門の修復とともに周辺が「三栖閘門と伏見みなと広場」として2003年公園整備された折、三栖閘門に付随した操作室として使われていた建物が「三栖閘門資料館」として修復され、閘門のしくみや港町伏見の歴史が紹介されています。 三栖閘門と右の建物が「…

『坂本龍馬 避難の材木小屋跡』碑

京都伏見・濠川に架かる大手橋のたもと坂本龍馬襲撃事件「寺田屋事件」で襲撃された坂本龍馬が逃げ込んだ材木小屋の有った所です。 以下長くなりますが、石碑に添えられた碑文の全文です。 慶応2(1866)年1月24日未明、薩長同盟を締結した坂本龍馬が、長州藩…

淀川発見講座『金井戸神社』

淀川発見講座の昼休み中、伏見港周辺を散策、濠川河畔肥後橋東詰に「金井戸神社」。 御祭神は天武天皇、応神天皇、10月の「炬火祭」で有名です。。 「壬申の乱」の際に、大海人皇子(天武天皇)の軍がこの伏見の三栖の地を通過する際、村人達が炬火を灯して暗…

淀川発見講座・伏見散策

淀川発見講座の昼休み中、伏見港周辺濠川沿いを散策。 「中西商店」この商家は、江戸末期か明治初期の建物ではないでしょうか。 先程の商家の軒に掲げられていた欅の看板。龍野の薄口醤油「マルテン」の商号です。 こちらは戦後、昭和の建物でしょうか、米屋…

旧大阪砲兵工廠化学分析場

大阪城天守閣の北西、京橋口の近く明治初期に建てられた東洋一の大兵器工場「大阪砲兵工廠」、「京橋ハンター ~京街道へタイムスリップ~」の帰り立ち寄り。 1945年8月14日午後、約150機のB-29の集中爆撃で工廠は80%以上の施設が破壊され機能を失いましたが…

泉布観

旧桜宮公会堂と同じ敷地内にある「泉布観」。 大阪府に現存する最古の洋風建築、1871年に造幣寮(現在の造幣局)の応接所として建設され設計はトーマス・ウォートルス。 こちらは旧桜宮公会堂と違い建物全体が国の重要文化財に指定されているので、リノベー…

旧桜宮公会堂

梅田の証券会社に行く道すがら、門扉が開いていましたので帰りに見学がてら立ち寄って見ました。 「旧造幣寮鋳造所」として1871年竣工、設計は「泉布観」と同じくトーマス・ウォートルス、1927年正面玄関の石材は保存し取り壊し、その後1935年保存石材を正面…

グランサンクタス淀屋橋(旧大阪農工銀行・八木通商)

西面は三休橋筋に面し南は浮世小路に面して辰野金吾・片岡安建築事務所設計の長年地域の名建築として愛されてきた旧大阪農工銀行・八木通商が地上13階地下1階建ての分譲マンション「グランサンクタス淀屋橋」にファザードを保全して建て替え中ですが、ちょう…

肥後橋『船町ビル』

大阪市営地下鉄四つ橋線・肥後橋駅から土佐堀通りを西に、「徐園」の楼門前を通り越した土佐堀通り沿い「船町ビル」。 1937年築 設計は森俊一、鉄筋コンクリート4階建てですが4階部分は増築された様で3階建て当時の写真が残っています。 正面2階から3階にア…

肥後橋『山内ビル』

大阪市営地下鉄四つ橋線・肥後橋駅を北に徒歩3分弱土佐堀川沿いの山内ビル「山内香法律特許事務所」1930年築 設計は今北乙吉、2000年に国の有形登録文化財に登録され、スパニッシュ風褐色タイル貼りの瀟洒な鉄筋工クリート4階建てのビルです。 設計者の今北…

大阪国技館跡 碑

江戸時代から明治期に掛けては江戸相撲と並び大阪相撲の最盛期で有って、1919年9月に東京両国の国技館に対抗して大阪市浪速区の新世界・ルナパーク南側に鉄筋コンクリート・煉瓦造、建築面積約2000平方メートル、ドーム式の大阪国技館が建設され大阪相撲協会…

堺筋ウォッチン

堺筋本町から長堀橋辺りを散策。 風蘭ビルディング(旧明治屋ビルディング)。1924年竣工、曽禰中條建築事務所の設計による、ネオ・ルネッサンス様式の建物、着工約1ヵ月後の関東大震災ため、急遽鉄材をアメリカ・ベスレヘムスチール製に変更したという逸話…

クリエイティブ・ツーリズム都島編

花村さんと陸奥さんの「クリエイティブ・ツーリズム 都島編」です。 ガイドブックにも載らない、時代を先取りするクリエイティブ拠点を巡るツーリズムという事で、参加されているメンバーもツアー企画など様々なシーンで色々な企画を組まれているクリエータ…

大阪あそ歩 2013 『西天下茶屋』

大阪あそ歩「西天下茶屋」です。 サブタイトルに、「感激!エンターテインメント・プレイス in 西天下茶屋 ~駄菓子と、地ソースと、大衆演劇「梅南座」と~」と在りまして、歴史のポイントを巡る「天下茶屋」、こどもの日特別企画・下町遊びの「西天下茶…

史跡・難波宮跡

空堀「おいスイーツ」の帰り、難波宮跡公園に立ち寄ります。 難波宮(なにわのみや)は、飛鳥時代・奈良時代の難波(現在の大阪市中央区)にあった古代宮殿。 日本書紀には記載が在る物の幻の宮とされて来ました。 1953年同所付近から鴟尾(しび)が発見され、…

高津原橋

長堀通に架かる安堂寺町から空掘を繋ぐ「高津原橋」。 江戸時代東西に開削された長堀川を埋め立てた末吉橋通に、1908年大阪市電の第二期線として西の九条から末吉橋まで大阪市電東西線が開通していましたが、1910年第三期線の大阪市電玉造線を末吉橋から上本…

榎木大明神

天満橋から熊野街道を南に、長堀通と交わる手前で道は路地の様に細く成り石段の途中に、榎ならぬ樹齢650年とも伝えられ楠木正成お手植えとも伝わる御神木の「槐(えんじゅ)」と「巳さん(白蛇)」をお祀りする「榎木大明神」。 戦時中の空襲では、この地で…

太閤(背割)下水見学施設

天満橋から旧熊野街道を南に中央大通を渡って少し、大阪市立南大江小学校西面旧熊野街道沿いに日本最古の現役下水道と言われる石積の下水溝「太閤(背割)下水」が地上から覗ける「太閤下水見学施設」が在ります。 豊臣秀吉による大坂城築城の際(1583年)に…

玉造名所『二軒茶屋・石橋 』旧跡

JR環状線玉造駅から長堀通を東へ50m位行った道路沿い「玉造名所『二軒茶屋・石橋 』旧跡」碑。 ここが明治中期まで「暗越奈良街道」の大坂側からの入り口で、旅人はこの辺りで「菅笠」「足袋」「草鞋」などの旅支度を整え、「つるや」「ますや」という二軒の…