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大和・今井の寺内町と建国伝承地の陵墓をめぐる『延命院八木寺 八木春日神社』

久しぶりに参加します羽曳野市史遊会の古代史教室見学会、今回は奈良県橿原市八木町から「今井寺内町」と建国伝承の地「畝傍山」の周囲 ”伝承の大王墓” を巡ります。 「八木札の辻交流館・東の平田家(旧旅籠)」から八木の町並みを少し南に「延命院八木寺 」…

コバノミツバツツジを愛でて歩くかい『甲山四国八十八カ所 石仏・その2』

本田さん企画の「コバノミツバツツジを愛でて歩くかい」に参加、神呪寺山門→五ケ池ピクニック道路→甲山自然の家→神呪寺→甲山四国八十八ケ所→亀石→山王公園(切石)→山王東公園(紫電改)→甲陽園駅→御手洗川→廣田神社と廻ります。 「甲山八十八カ所」石仏巡りその…

コバノミツバツツジを愛でて歩くかい『甲山四国八十八カ所 石仏・その1』

本田さん企画の「コバノミツバツツジを愛でて歩くかい」に参加、神呪寺山門→五ケ池ピクニック道路→甲山自然の家→神呪寺→甲山四国八十八ケ所→亀石→山王公園(切石)→山王東公園(紫電改)→甲陽園駅→御手洗川→廣田神社と廻ります。 神呪寺の真言宗御室派総本山・仁…

コバノミツバツツジを愛でて歩くかい・武庫山『神咒寺』

本田さん企画の「コバノミツバツツジを愛でて歩くかい」に参加、神呪寺山門→五ケ池ピクニック道路→甲山自然の家→神呪寺→甲山四国八十八ケ所→亀石→山王公園(切石)→山王東公園(紫電改)→甲陽園駅→御手洗川→廣田神社と廻ります。 「武庫山 神咒寺」真言宗御室派…

金地院

花粉の事や人込みを避けてなんか考えてて、足早に通り過ぎてくサクラに追いつけなくて慌て気味の「京都東山お花見・哲学の道」から「南禅寺塔頭・金地院」。 徳川幕府の礎を作り徳川家康の政治外交を支えたブレーン「以心崇伝・金地院崇伝」の住まいした塔所…

南禅寺

花粉の事や人込みを避けてなんか考えてて、足早に通り過ぎてくサクラに追いつけなくて慌て気味の「京都東山お花見・哲学の道」から「南禅寺」。 臨済宗南禅寺派大本山「瑞龍山 太平興国南禅禅寺」。 日本最初の勅願禅寺、日本中の禅寺の中で京都五山および鎌…

聴松院・摩利支天堂

花粉の事や人込みを避けてなんか考えてて、足早に通り過ぎてくサクラに追いつけなくて慌て気味の「京都東山お花見・哲学の道」から「南禅寺塔頭・聴松院」。 南禅寺塔頭の一か寺、大寂門から鹿ケ谷通を行くと「大聖摩利支尊天」の石碑が見えすぐに分かります…

永観堂(禅林寺)

花粉の事や人込みを避けてなんか考えてて、足早に通り過ぎてくサクラに追いつけなくて慌て気味の「京都東山お花見・哲学の道」から「永観堂 (禅林寺) 」。 浄土宗西山禅林寺派総本山「聖衆來迎山 無量壽院 禪林寺」。 空海の高弟・真紹が開山したことから当…

熊野若王子神社

花粉の事や人込みを避けてなんか考えてて、足早に通り過ぎてくサクラに追いつけなくて慌て気味の「京都東山お花見・哲学の道」から「熊野若王子神社」。 「哲学の道」南の終点「若王子(にゃくおうじ)橋」を渡り「熊野若王子神社」へ。 モミジの名所「禅林寺…

大文字寺『清泰山 浄土院』

花粉の事や人込みを避けてなんか考えてて、足早に通り過ぎてくサクラに追いつけなくて慌て気味の「京都東山お花見・哲学の道・銀閣寺参道」から「浄土院」。 「大文字」本尊安置所として大文字の送り火を管理することから「大文字寺」とも呼ばれる「清泰山 …

北白川・子安観世音

花粉の事や人込みを避けてなんか考えてて、足早に通り過ぎてくサクラに追いつけなくて慌て気味の「京都東山お花見」の途中で「子安観世音」。 今出川通の吉田神社北参道鳥居の向かい辺り、今出川通から斜めに志賀越街道が交差する角、前掛けを掛けた大きな石…

吉田神社

花粉の事や人込みを避けてなんか考えてて、足早に通り過ぎてくサクラに追いつけなくて慌て気味の「京都東山お花見」の途中で「吉田神社」。 京都大学正門から少し東に行くと一の鳥居が見えてきます。 藤原山蔭が一族の氏神として春日大社より勧進したのが始…

寺之内通『尾形光琳墓所 興善院旧跡』

寺之内通に面した妙顕寺南東角、妙顕寺塔頭の泉妙院に尾形光琳のお墓があります。 尾形一族が代々住職を出していた尾形家の菩提寺「興善院」が墓石のみを残し無住となり本行院の管下に、その本行院は天明の大火で焼失泉妙院と合併、墓石は妙顕寺総墓所に移さ…

寺之内通『大本山 具足山妙顕寺』

寺之内通を東に、京都市内に二カ寺ある日蓮宗の大本山。 塔頭が九院ある(久本院,十乗院,泉妙院,法音院,恩命院,善行院,本妙院,實成院,教法院)大寺院、桜の咲くころ「龍華の春」と題して特別公開があり桜の名所でもありますが、同行者が先を急かすので残念です…

寺之内通『西山 宝鏡寺』

堀川通から寺之内通に曲がったところ、驚いた事に春と秋の人形展公開時以外普段は固く閉じられてる尼門跡寺院「宝鏡寺」の山門が開かれてます。 光厳天皇の皇女が入山以来代々皇女が入山、尼門跡寺院となり百々御所と呼ばれ、入山する皇女には御所から数多く…

堀川通『晴明神社』

「一条戻り橋」から堀川通を少し北に「晴明神社」。 この辺りまで出てきたら晴明神社は寄らないといけないスポットだそうで同行者にお付き合い。 1月もあと数日、日曜日とは言え寒い一日、さすがの晴明神社も参拝者は少なめでした。 堀川通に面した一の鳥居…

京都新春十二支パワースポット巡り・乾(戌亥)『大将軍八神社』

十二支パワースポット巡り、一条通の「大将軍八神社」にお詣り。 桓武天皇が平安京遷都の折、王城鎮護のため四方に置いた方除け大将軍神社のうちの一社、北西(乾・戌亥)の天門守護神として当初は陰陽道の方位神「大将軍」一神だけをお祀りしていましたが、…

京都新春十二支パワースポット巡り・戊戌『 金映山妙護国院 三寳寺』

一昨年より再開した「京都新春十二支パワースポット巡り」、戌年の今年は「洛陽十二支妙見めぐり」中の一か寺 右京区鳴滝の「金映山妙護国院 三寳寺」日蓮宗の中本山です。 周辺には御室仁和寺、龍安寺、北野天満宮、金閣寺、などが点在し余り知られていませ…

右京区宇多野・福王子神社

嵐電・宇多野駅を出て京都新春十二支パワースポット巡り「三宝寺」に向かう道すがら「福王子神社」に寄り道。 宇多野駅から周山街道を北に、周山街道が鞍馬口通(きぬかけの路)と交差する交差点北側に位置します。 この地に在った応仁の乱で焼失した深川神…

大阪七福神巡り・和宗総本山 四天王寺『乳布袋尊』

七福神巡り最後の七福神「乳布袋尊」和宗総本山 四天王寺。 山号は荒陵山「金光明四天王大護国寺」が正式名なのでしょうか、西から石の大鳥居をくぐり極楽門の手間を右に「布袋堂」が有ります。 女性がこのお堂に祀られた布袋尊に立願すれば、乳が出ない人や…

大阪七福神巡り・三光神社『寿老人』

いよいよ六カ所目の七福神巡り、同行者とはここでお別れ。 昔は当時の地名に因み姫山神社と称したそうですが、大坂冬の陣真田丸の三光神社、真田山の三光神社で全国区に成りました。 「三光さん」は中風封じの神として良く知られ、毎年6月1日から1週間の中風…

大阪七福神巡り・大圓山 長久寺『福禄寿』

五カ所目に廻った七福神は「福禄寿」大圓山長久寺。 秀頼の武運長久を祈るため淀殿の命で、普請奉行・片桐且元、大野治長が大坂城築城の余材をもって建立した寺院。 その後、淀殿が建立した本堂を残し幾度か焼失再建を繰り返したのち戦前戦後の道路拡幅・都…

大阪七福神巡り・志宜山 法案寺南坊『辨財天』

七福神 四カ所目は「辨財天」志宜山法案寺南坊。 山号の「志宜(しぎ)」は聖徳太子が当寺を現在の城東区鴫野(しぎの)に建立した事が起こりと言われ、時代が下り生玉神社の神宮寺別当として法円坂で隆盛、法円坂の語源は法案寺とする説も有り、さらに時代は下…

大阪七福神巡り・崑崙山 宝満寺大乗坊『毘沙門天』

三カ所目にお参りした七福神は「毘沙門天」大乗坊。 天王寺牛が崎に有った宝満寺37坊の1坊で、戦国時代の度重なる戦果で宝満寺自体が消滅、大乗坊も江戸時代に寄進を受け再興された高野山真言宗の仏教寺院で木造毘沙門天立像は重要文化財。 明治には境内千坪…

大阪七福神巡り・今宮戎神社『戎大神』

次の七福神は「戎大神」今宮戎神社、今宮のえべっさんです。 丁度9日から始まる「十日えびす」準備真っ最中。 今宮戎神社の戎神は事代主で先にお参りした大国主の息子に成り、西宮神社などの蛭子神とは違います。 今宮戎神社。 今宮戎神社拝殿、手前にお賽銭…

大阪七福神巡り・大國主神社『日出大國神』

午前中の大阪市消防出初式の後以前から廻って見たかった「大阪七福神巡り」に向かいます。 最初の七福神は「日出大國神」、木津の大國さん大國主神社です。 木津の大国さん「日出大國神」は「敷津松之宮」の境内に祀られた摂社ですが、大國さんの方が良く知…

枚方長尾『菅原神社』

長尾山「正俊寺」の府道を挟んだ向かいにある「菅原神社」、名前の通り菅原道真公を祀った天神さんです。 この神社も初代大坂東町奉行・久貝正俊、息子の久貝正世と縁の深い神社で、知行地としてこの地域を授かったものの荒れ地で住民も戸数13戸と少なく開墾…

枚方長尾・長尾山『正俊寺』

枚方市長尾宮前の長尾山「正俊寺」です。 曹洞宗の寺院で、初代大坂東町奉行・久貝正俊の菩提寺として息子の久貝正世が創建した禅寺。 境内の十三重石塔は鎌倉時代造立の石塔で大阪府重要文化財に指定され、その他にも五百羅漢や西国八十八カ所観音像など沢…

~水の朝鮮人街道~ 『唐人澪』探訪ウオーク

先ごろユネスコ世界記憶遺産に認定された江戸時代の外交資料「朝鮮通信使に関する記録」の中の「~水の朝鮮人街道~ 『唐人澪』探訪ウオーク」。 渡海船を降り乗り込んだ、「唐人澪」とも呼ばれた尻無川を上った約三百石相当の御座船と百隻以上の供船が加わ…

vol.2 岬町から、船で、淡路島へ渡ってみませぬか『国瑞彦 護国神社』『洲本八幡神社』

厳島神社(淡路島弁財天)から少し歩いて「国瑞彦 護国神社」と「洲本八幡神社」。 「国瑞彦 護国神社」は、1870年の庚午事変(稲田騒動)の後始末として、徳島県名東群の藩祖・蜂須賀家政公を祀る国瑞彦神社より御分霊を勧請、1877年洲本八幡神社旧別当寺龍宝院…